これは私の体験した中で 今思い出しても寒気のする出来事です。
話は私が中学生の頃まで遡ります。
当時私が住んでいた所は お世辞にも交通の便が良いとは言えない所でした。
しかし、私が小学校高学年ぐらいの時に
町の中心を分断するかのような大きな道路が開通しました。
その道路から垂直に、町に続く細い道が至る所に点在していましたが
そのなかのどの道にも「信号」というものは取り付けられませんでした。
子供とご老人が多い町。
必ず事故が起こると、町の人は思っていたようです。
開通した道を真っ直ぐ下って行くと、国道との交差点に行きつきます。
辺りは畑と竹薮、そして少し大きめの川しかないところです。
当然、街灯などという気のきいた物は存在しません。
交差点に唯一立つ信号機も早い時間から点滅信号に変わっていました。
そして、ここでの事故が後を絶ちませんでした。
車同士の接触事故、人身事故。
交差点から見える所に消防署があるというのが何とも因縁めいたものに思えました。
道路開通から数年が経ち 交通量は増加の一途をたどっているというのに
一向に事故は減らず、信号機・街灯も設置される事はありませんでした。
ある日の昼間、私は行く所があり
そこに行くにはあの交差点を横断しなければなりませんでした。
事故が多いとは聞いていましたが、時間は昼間。
信号機も正常に稼動しているはずなので 特に何も思わず自転車に乗って家を後にしました。
交差点にさしかかった時、信号が丁度赤に変わりました。
自転車を止め、ただ自分の進行方向の信号だけを見つめていたのです。
信号が青に変わった事を確認し、自転車のペダルを踏み込んだ時です。
横から猛スピードの車がけたたましくクラクションを響かせながら
私のほうに突っ込んできたのです。
間髪、車をよける事は出来ましたが 相手のドライバーは
「ドコ見てんねん!あほんだら!!」
と捨て台詞を残して去って行きました。
ハッキリ言って、何が起きたのかなんて全く理解できませんでした。
信号無視をしたのはあの車のほうなのに何故私がどやされなければいけなかったのか。
そう思って、もう一度自分の進行方向にある信号を見たとき
私は夏場だったのにもかかわらず、全身鳥肌が立ちました。
信号は・・・赤だったのです。
確かに私は信号が青に変わった事を確認してから道を横断しようとしたはず。
車とあやうく事故りかけそうになってからほんの数秒しかたっていませんでした。
そんな短い時間で信号が変わるはずもありません。
それ以来、私は今まで以上に信号に気をつけるようになりました。
あの日の出来事は 「私の不注意」ということで、自分の中で処理をしていたのです。
しかし、それが不注意ではなかったのです。
あれから3ヶ月後、4ヶ月後、半年後の計3回
全くあの日と同じ出来事が同じ場所で私の身に起こったのです。
幸いにも、怪我などには繋がりませんでしたが
私はあの交差点に見入られたように引きずり込まれそうになっていたのです。
最後に引きずり込まれそうになったとき
偶然にも私の近くに居たご老人が話を聞かせてくれました。
「ここで事故を起こす人は、みんなあんたみたいに 赤信号やのに渡ろうとするんや。
本人には赤信号に見えてへんのやろな。
仲間を・・・求めてんのかもしれんなぁ・・・」
背筋が凍る思いでした。
その日を最後に、私はあの交差点に近づかなくなりました。
今ではその土地も離れ、二度とあの交差点を通る事はないでしょう。
しかし、無念の死を遂げた人々は 今日も仲間を求め手を伸ばしているのかもしれません。
あの交差点は、永遠に死を呼びこみ続けるのでしょうか・・・