GHOST TAIL

JuJu:怖い話と百物語

怖い話:361話〜400話

訪問者の方々からお寄せ頂いている現在も増殖中の「怖い話」。
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もう一人の私
2006年1月24日/投稿者:緋闇

私がもう一人の私と出会ったのは、小学生の時でした。

その頃私はイジメに遭い、辛い日々を送っていました。

そんなある日のことです。

自宅のトイレの向かいにあった本棚の下に、一本の剃刀が落ちていました。



「これで手首を切れば楽になれる」



子供心にそう思った私は、ためらいも無く刃を手首に当て、深く切ろうとしたのですが。


その時・・



「ダメ!」



頭の中で声がし、瞬間、異常なほど剃刀が怖くなったのです。

手首は傷つけてしまいましたが、幸い傷口が浅かったので放っておきました。


それ以来、私は剃刀恐怖症になりました。


それから数年。

私は就職活動に疲れ果て、ノイローゼ気味になってしまいました。

何をしても楽しみを見出せなくなった私は、再び死を決意しました。

今回は、剃刀ではなく、首を吊ろうと思ったのです。

ロープを買おう。

のろのろと立ち上がり、財布に手を伸ばしたときです。

また、もう一人の私が叫んだのです。

「私は生きたい!!」

その声で我に返った私は、自殺を思いとどまりました。

私の中には、もう一人の私がいます。

彼女は時々外に出ているらしく、

たまに友人がもう一人の私を見かけたりします。

そして彼女は家族とも交流を図っているようです。

彼女の望みは何なのか?

それはよく分かりません。

一つ分かっているのは、彼女は私に死んで欲しく無いということ。

今日も私はもう一人の私に支えられて生きています。

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文学散歩
2006年1月11日/投稿者:我龍

私は高校1年の男子です。

私の高校では、学年ごとに様々な行事があります。

11月中旬、私たちはその学年行事の一つ『文学散歩』に行って来ました。

テーマは『川端康成』で、川端先生縁の地を巡って

日本の文学に触れるというのが表面上の目的でした。

バスで移動なので、実際はワイワイ騒いでいる時間の方が長く、

お楽しみ会的なムードに満ちていました。


そんな中、この文学散歩のしおりを貰ってから、

浮かない顔をしていた一人の少年がいました。

私です。

その原因はしおりに載っている、訪れる場所とその順序を示したコースにあります。

私たちクラスは『S高校、3班』と言う集団名で、

川端先生に縁の深い地、特に『伊豆の踊り子』に関係の深い地を巡ります。

震える私の手にあった紙にはこう記してありました。


”3班昼食、旧天城トンネル”



GHOST TAIL好きの私の耳には、説明する教員の声など聞こえません。

旧天城トンネルと言えば、このページでよく見る地名です。

お話を読んだところ、夜のお話ではありますが中々恐い!!

そこで昼食!?冗談じゃない!!!

結局、親友と

「文学散歩で行く旧天城トンネル、JuJuのお話で出てくるトコだぜ?読んでみ?」

「は?マジ?ってか絶対読まねェ!!行く前に不安になりたくねェもん!!」

などと話しただけで、教員には話しませんでした。

終わってから聞いた話によると、中には心霊スポットだと分かっていて

楽しみにしていた教員もいたんだとか………

私は不安でたまりませんでした。

何しろ、恐い話が大好きで、「何かがいる」と、

うっすら分かる程度ではあれど霊感を持っているのに、

実際に心霊スポットと呼ばれる場所に行くのはこれが初めてだったのです。



当日、ワイワイやってる仲間と一緒に無理やりテンションを上げていた私に、

朗報が入ってきました。どうやら昼食は旧天城トンネルに着く前にとるそうなのです。

結局、私たちはバスで昼食を済ませてから旧天城トンネルを訪れました。

バスを降りてから約30分、砂利道を延々と歩き、なんとかトンネルを目指します。
途中から、ムワッとした嫌な感じがまとわりついて来ます。

まるで川の流れの中にいる様な動きづらさを
(きっと最近ろくに運動してないからバテてきたんだ)

と自分に言い聞かせ、更に重くなる足を動かします。

目的地に近付くにつれ、ムワッとしたまとわりつく感じがもも、腰、胸と上がってきて、

遂には全身が飲み込まれました。

呼吸をすると同時に、痛くなるように冷たいモノが喉を通ります。



遂に

「トンネルの入り口が見えた」

との声が聞こえた頃には、周囲の空気が『まとわりつく』を超えて

『締め付け』てくるようになっていました。

それでも意地を張り、友達に、特に可愛いコには

だらしない姿を見せまいと足を動かしました。

「これか…」

私は、トンネルが見えた時に、まだ明るいにもかかわらず背筋が凍る思いがしました。

向こう側が見えないトンネルから流れ出す”何か”、

吸い込まれそうだと感じる程の闇、体の熱を奪う風…

「チキショウ……」

ぶつぶつ文句を言いながら、後を上がって来る仲間を待ちます。

ところが

「わ〜!暗〜〜い!!」

などと言いながらはしゃぎ出す、二人の女子が現れました。

「騒がないでこっちに来なさい!!」

とうとう担任が怒り、

「え〜〜」

などと声を上げて彼女たちが振り向いた瞬間、



トンネルの中から巨大で黒い半透明な左腕が現れ、

彼女たちを包み込んで闇の中に戻って行ったのです。



何事も無かったかのように、彼女たちが手をすり抜け

集団の中に戻って来ると、やっと全員そろったらしいと言う事で点呼をしました。

全員そろっていると確認すると、

集合写真を撮る、などと担任が口走りやがりました。

もう冗談じゃない!!

ふてくされた顔で被写体の一部になり、集合写真を終えると、

とうとうトンネルに突入です。

暗く、湿ったトンネルの内部では、誰かに見られる様な感覚に襲われましたが、

それはもう覚悟していた事なので驚きはしませんでした。

無事にトンネルを通り抜け、バスに戻った私は、

とてつもない疲労感に襲われて眠りに落ちました。

その後も川端先生に関係ある土地を巡り、

無事(物理的には)に文学研修は終了しました。

二週間後のある日、朝の教室がやけに静かです。

見てみるといつも騒がしい女子が一人いません。

あの、トンネルで騒いでいた女子の片方です。

ホームルームの時間に担任の口から出た言葉は


「○○が車にはねられた」


彼女は今、元気に登校していますが、

これはトンネルの手とは無関係なのでしょうか?

答えが写っているかもしれない集合写真は、まだ現像できていないそうです。

どれだけやっても真っ黒になってしまって………

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夏の部屋
2005年12月29日/投稿者:●田●コ

私が中学1年生の頃の出来事です。

夏休みに入り、少し年の離れた私の兄が

大学から家に久しぶりに帰ってきました。

私と兄で存分にパソコンで遊んだり、テレビで多いに笑ったり、

気がつけばもう深夜12時になっていました。(既に親は寝ていました。)

兄「もう寝ないと。明日もお前部活あるだろ?」

私「うん。」

2人で電気を消し、2階の自分達の部屋へ入りました。

私は普段家族に内緒で午前3時までラジオを聴いてやっと寝付きます。

夏の夜は虫達が美しい音を奏で響き渡ります。

私(静かだな・・・)

兄「ぅ・・うわぁ・・・・っ!!!!」

静寂を切り裂くような聞いたことない声にならない兄の声。

私(え・・・?!何?今の声?!)

しばらくすると兄が部屋をでてきました。

私の部屋のドアは風が通るように少し開いていました。

兄「・・・・まだ起きてる?」

兄が私の様子を見にきました。

私「うん・・というかさっきの声って・・・兄さん?」

兄「あぁ・・何か妙な夢・・?みたいなモノみて・・」

私「どんな夢さ?」

兄は青ざめた顔で見たモノを説明してくれました。

兄「・・・誰もいない老舗の旅館、俺一人で泊まって・・・
夜、一人で部屋で寝ていたら・・
いきなり白い着物を着た般若の仮面を被っているような女の人が
俺の首を絞めてきたんだよ・・・」

私「うわぁ・・すごい怖い夢だね・・・」

ふと兄の首に目をやると

首周りの肌が赤く掏れていたのです。


―――そうついさっきまで首を絞められていたかのような―――。

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祖母の白い影
2005年10月26日/投稿者:藤原

それは、私がまだ小さい頃でした。

子供の頃は誰でも霊感が強いと言われますが、私もそうだったのでしょう。

いつも、夜中にトイレに行きたくなり

目を覚まし、二階にある寝室から一階にあるトイレに行くと、

決まって階段の下に白い影が見えるのです。

弟が歩けるようになってからも、私はいつものように夜中に目を覚まし、

トイレに行っていました。

ある日、白い影はいつもの場所になかったのですが

私もとくに気にはしていませんでした。

ところが、寝室に戻って母と一緒に眠る弟に覆い被さるようにして

いつもの白い影があったのです。

私は恐くなって、布団を被ってそのまま眠りにつきました。

次の日、弟は階段の一番上から転がり落ちました。

頭なども打っていたはずですが、一番下まで落ちた弟は傷一つなかったのです。

それは、もしかしたら弟の誕生を待たずに亡くなった祖母だったのかもしれません。

祖母が、弟を守ってくれたのかも・・・しれません。

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逢いたい想い
2005年9月25日/投稿者:RYuNA

このお話は私が中学生の時に体験したお話です。

(体験物語が長いのでご注意下さい。)


私の中学は戦争の跡地だったのですが

その上校舎は軍の宿舎だった、という噂がありました。

確かに教室の入り口に「○○○号室」と

部屋番号のようなプレートが残 っているんです。

それに霊感の強い友達は何かを感じる…といつも言っていましたが

私は霊感などないと思っていたのであまり気にせず学校生活をおくっていました。

アノ出来事ガアルマデハ・・・・・・


ある日私は部活終了後に教室へ忘れ物をした事に気がつきました。

しかしこの学校は大きくて広く、二つに別れていたんです。

私が今居るのは第二校舎・・・・つまりは別館の1F。

教室は第一校舎、本館の3F。

本館と別館を繋ぐのは一本の廊下だけ。

私はメンドクサイと思いながらも行くことにしました。

外はだんだん暗くなりライトが校庭を仄かに怪しく照らしていました。

「ぅわ〜怖いな・・・。早く帰ろー。」

私は一人で呟きながらもやっと本館に着きました。

この学校は階段が東・中央・西と三ヶ所にあるのですが、

教室に近い西階段から行くことにしました。

階段を上がろうとした時


「お〜ぃ!」


と私を呼ぶ声に気がつきました。

「んっ?」と振り返ると、同じクラスの仲の良い男子・ユキでした。

「何やってんの?もう誰もいねぇ時間じゃん。」

「忘れ物を取りに行くところだよ。ユキはなにしてたの?」

「俺?俺は学校のHP管理担当だし、…副部長も大変なの!」

など、他愛もない会話をしながらもユキが教室までつきあってくれるというので

一緒に行くことにしました。

話しながら階段を上って行く途中にユキが気になる発言をしたんです。

「そういや、最近でるってな。」

「でるって・・・何が?」

「でるって言ったら決まってんだろ?ゆーれいだよ幽霊。」

「ちょっ、やめてよ!こんな暗くて二人しか居ない時に!!」

笑いながら言うユキに最初は嫌悪感を抱きましたが、

話しているとだんだんとユキの顔が真顔になっていきました。


「いや、でもマジでオカシイんだ・・・・・・。」


ユキの話によると

最近放課後まで残った生徒の一部が血塗れの人らしきモノを見たと言うのです。

その血塗れのモノは、軍人だったり、着物を纏った女性だったり、泣き喚く子供だったり・・。

私はその話を初めて聴いたのですが、

そういえば最近学年に元気がないというか。

それに欠席者も多いと担任が職員室で話していたような…。

私は何だか寒気を覚えました。

凍てつくような不安感に襲われ始めたのです。

決定打はHPの話でした。

<皆の掲示板>という学校のパソコン・生徒の入学番号で

書き込みができるBBSに変な書き込みがあったというのです。

その書き込みというのが、

『逢いたい・・・・痛い・・・・・泣く・・・鳴く・・・・無く・・』

という何とも不思議な書き込みだったのです。

しかし、この書き込みにはアクセス履歴が・・・・無かったのです。

入力しなければいけない番号すら何も無く書き込みされていた、と。

そんなこんなで教室につき、

急いで私は机の中から忘れ物を取り出しユキが待っている廊下へと戻ったのですが・・・

「ユキ・・・・?」

ユキの姿が無かったのです。

私は怖くなったので、

ユキに一緒に帰ろうと約束したので先に帰る事は有り得ません。

「ユキ・・・何処に行ったの??ねぇユキ!」

廊下には私の声が反響するだけで、ユキの声は帰ってきませんでした。

私は怖くなって玄関におりようと階段に行こうと振り返ったのですが…

西階段は何処にもありませんでした。

壁になっていたのです。

外はもう真っ暗で廊下も電気はついていません。

助けてくれるのは校庭のライトだけ・・・。

私は泣きながら中央階段を目指して走り出したその時でした・・・



チリン


チリン



何処からか儚く寂しげな鈴の音がしたのです。

私は止まるのと同時に嫌な汗が私の背中をつたいました。



チリン



チリン



どんどん近づいてきます。

私は…恐怖の反面、なぜか振り向かなくてはならないと思ったのです。

「きゃぁぁああああぁぁああぁぁぁぁ!!!!」

私は一目散に走り出しました。

振り返るとそこには血塗れの軍人が鈴を鳴らしながら壁からでてきたのです!

私は素早く階段をおりました。

すると中央階段が途切れていて下にいけないのです。

私は階段を曲がって東階段を目指しました。

「ユキッ!!何処にいるのぉ〜!!!」

私は大声で泣き叫びました。

その時は本当に無我夢中でした。

すると

「おーい!!何処にいるんだぁ!!」

ユキの声がしたのです。

「 !! ユキー!!!」

ユキは東階段からおりてきました。

しかし、後ろをみると着物を着た血塗れの女の人がユキの後ろにいたのです!

私達は再会という大きな安心から一転、幽霊に挟み撃ちされたのです。

私達はしゃがみ込みました。

パニックになって何もできなかったのです。

ところが、軍人と女の幽霊が私達を挟みながらピタリ、と止まったのです。

恐る恐る目を開けると軍人と女の顔がハッキリ見えたのです。

二人は泣いて抱き合っていました。

私とユキは呆然としていました。

『やっと・・・・逢えましたね。』

『・・・私が差し上げた鈴を持っていて下さったのですね。』

『お腹の子には申し訳ないことをしました・・・。』

『貴方様にお逢いできればそれでいいのです。これで私は居る事ができます。』

そんな会話が聴こえたかと思ったら二人の影が薄れ消えていくと同時に

私達の視界も閉じていきました。




私達が目を覚ましたのが、20:00でした。

最後の見回りの先生に起こされたのです。

私が部活が終わったのが18:30分頃でしたから・・・

あまり時間はたっていませんでした。

しかしとても長かった気がします。

先生には話せなっかたものの、家まで送って行ってもらいました。

結局その出来事があってから、血塗れの噂は消えました。

書き込みも消えていたそうです。

ユキとはその事件以来付き合ってますが、未だに謎と恐怖に満ちたままです。

あの二人は戦争で引き裂かれた恋人か夫婦だったのでしょうか?

この事件以来、私は奇怪な事件をよく体験するようになりました。

しかし、このような複雑で恐ろしい体験はもうしたくないと

いつも願い続けている今日この頃です。

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一緒に逝こう
2005年9月20日/投稿者:綾乃

今から10年程前、私がまだ幼稚園に通っていたころの事でした。

私の祖父は、病気で皆に看取られながら死んでいきました。

しかし、まだ私は小さかったので寝てしまっていました。

だから遺体が焼かれる前に私に会いに来たのでしょうか?

私が、棺桶の前で1人で遊んでいたとき

白い着物を着た祖父が現れたのです。

そして、こう言いました。

「一緒に、逝こう・・・」と、

そのとき私は「死ぬまでヤダ」と言いました。

すると今度は

「じゃあ おじいちゃん、待ってるでな」

と言い、スウっと消えたのです。

今でも祖父は私のことを待っているのでしょうか・・・

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金縛り
2005年9月19日/投稿者:螢

これは私が実際体験した話です。

金縛りなんてありふれている話なので、
あんまり恐くはないかも知れませんが………。

私が金縛りを初めて体験したのは中学3年生くらいの時でした。

元々恐い話やホラーゲーム等、

とにかく恐いモノには目がない私はあの日も、

あの『呪怨1,2』の文庫本を1日で読破して

満足感に満たされながら布団に入りました。

どんなに恐かったりとてもグロテスクなモノを想像していてもすぐに眠れてしまう私は、

すぐにうとうとしはじめました………が、

「……………あ」

「あ」と言ったのか「な」と言ったのかはよく覚えていませんが、

取りあえず耳元で何かを囁かれたような気がたのです。

「?」

私は空耳かと思い直して電気を消し、

暖かい布団に包まれてまた『呪怨』のことを考えていました。

その時、

ぴくぴくっと指が軽く痙攣したかと思うと、

体が硬直してしまって動けなくなりました。

「(おお、これがあの『金縛り』ってやつか!!
凄い!凄い!!体験しちゃったよ!)」

こんな状況にもかかわらず、

私は金縛りにあった事に喜びを禁じ得ませんでした。

以前テレビで「疲労から金縛りのような事になる時もある」

というような番組をやっていた事があったので、

最初私は「部活で疲れているんだ」と思い、

心霊現象なのだとは考えもしませんでした………

というより、心霊現象「だったらいいなぁ」と考えていました。

ぼそぼそぼそぼそぼそ………

金縛りという滅多に出来ない体験をして舞い上がっていた私の耳元で、

なにかぼそぼそと聞き取れないくらい小さい声で

人の呟く声が聞こえ始めたのです。

「!!」

これは疲れだ疲れのせいだ。

声なんて聞こえない

さっき『呪怨』を読んでたせいでいつもよりこういう事を想像しちゃうだけ……。

私は必死に思いこもうとしましたが、

やっぱりどう考えても耳元で誰かが呟いているのです。

私は自分の部屋がないので母や弟、妹と同じ部屋で寝ているのですが、

いつもは女と思えない大いびきをかいているお母さんが寝息も立てていないし、

弟の歯ぎしりも今日に限って聞こえてこず、

相変わらず私の耳元で誰かが呟いているのです。

日頃の行いが悪いのか、

やっぱりこういう時にこそいつもは楽しんでいるはずの想像力が発揮されてしまい、

恐いと感じたお気に入りのシーンが次々と頭の中に浮かんできて、

さらに恐くなってきてしまいました。

「(南無大慈大悲救愚救難 広大霊感白衣観世音………。)」

某地獄教師ギャグマンガ愛読者である私は、

このさいなんでもいいからこの状況から脱出したいと

漫画で必死扱いて覚えていた白衣観音経を唱えていました。

こんな時に漫画で得た知識が役に立つなんて………

と今思い返すと泣けてきますが、

白衣観音経の効果があったのかどうか分かりませんが

少しずつ呟く声が小さくなっていき、やがてぷっつりと聞こえなくなりました。

目を開けたら何かいるような気がしてなかなか目が開けられませんでしたが、

やはり目を開けてもただ暗い二段ベットの天上があるだけでした。

恐怖でまだ少々引きつった腕や足の筋肉をなだめながら、

できるだけ楽しい事を考えてそれから30分位恐怖と格闘したのち、

やっと眠りにつきました。

翌日

私は朝食の時に「昨日の夜金縛りにあったんだよ」と家族に喜々として報告しました。

あの時は恐かったけれど、

過ぎてしまった今では「自分が心霊体験をした」という喜びの方が強かったのです。


その後、あの呟き声はしないものの

私は度々金縛りに合うようになりました。

やっぱり金縛りにあっている時は恐くて仕方がないのですが、

翌日になると無性に嬉しくてしかたがありません。

やはり、テレビで言うようにこの金縛りは心身の疲れからくるモノなのでしょうか?

それとも………。

こういう時って何処かお寺か何かにお願いして

供養とかして貰った方がいいのでしょうか?

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口裂け女
2005年9月14日/投稿者:我龍

少々古い…と言うか怪談には定番過ぎるお話ですが、

彼女の友(自分ではそう思っています)として実話を記したいと思います。

今から30年程前の夏の日、

彼女は関東のとある大富豪の4人娘の末っ子だったそうで

頭も良いし運動もでき、おまけに美人という素晴らしい人でした。

ある日彼女家で、彼女の父と父の友人が

その友人の一人息子と自分の娘の誰かを結婚させる話し合いをしました。

その結果、長女が結婚相手に選ばれたのでした。

しかし、会議室の外で父を待っていた青年にお茶を出しに言った彼女は、

彼に一目惚れしてしまったのです。

ものすごくかっこ良かった(彼女談)彼も

彼女に惹かれたらしく二人はそのまま駆け落ちしました。


彼女たちは、自動車が父親たちの物だったので走って逃げました。

走って人の沢山いる通りに入ると、それは彼女が初めて見る夏祭りでした。

その時に彼に初めて買ってもらい、初めて口にした庶民の食べ物が

『ベッコウ飴』だったそうです。

逃走も忘れかけてデートを楽しんでいると、

彼女や彼の家の召使たちが彼女を追いかけてきたそうです。

彼女たちは急いで走り出しました。

二人とも足が速かったのですぐに振り切れたそうです。

が、人ごみを抜けるとそこには家族がいました。

家に連れ戻された彼女は酷い拷問を受けたそうです。

内容は詳しく話してくれなかったのですが……

多分その時でしょう。

姉たちに口を大きく切り裂かれたのは…

彼女は美人でしたから、姉たちはそれを妬んでいたんでしょう。

「醜い女め…醜い女め…」

と言われながら…

自分で醜い顔になってしまったと思った彼女は拷問が終わった後、

最期の力を振り絞ってそこにいた次女と三女へと、

拷問部屋の剣を振り下ろしたそうです。

気付くと、彼女は綺麗な川のほとりにいました。

そして少し離れたところには『彼』がいたそうです。

彼に近寄っていくと彼も彼女に気付き、嬉しそうに抱いてくれたそうです。

「ごめんよ。僕のせいでこんな顔に…痛かっただろう……」

「大丈夫よ」

彼は、彼女の死を聞いた後、

自分の一族と彼女の家族を呪って自殺したそうです。

そうです。

彼女たちの再会は三途の川でした。

「一緒に逝こう」

彼女は言いましたが、彼は首を横に振りました。

「悪いけど、僕は向こうへは逝けないんだ」

「え?」

「僕の思いは強過ぎたらしいんだ。そのせいで、僕らの一家は全滅した」

彼は死神になっていたのです。

「僕は逝けない…けど君は逝くんだ……」

「嫌だ!!一緒に逝けないなら私も残る!!!」

これが彼女が現世に現れる理由です。『彼』は、

「綺麗だよ」

と言ってくれるらしいのですが、

彼女はどうしても自分に自信が持てないらしく

つい、会う人にこう聞いてしまうそうです。



「私って…綺麗?」



僕が彼女に初めて会ったのは4年程前の秋祭りの事です。

会ったと言うよりも『見つけた』のでした。

僕は『見える人』の端くれだったので、

悲しげな彼女を見て噂に聞く悪霊の類とは違う感じがしました。

そんな奴らとは何度か遭遇したことがあるので分かったのです。

そして聞いたのがこの話でした。

ですが気をつけて下さい。彼女の質問に対して失礼なことを言うと

「勢いで殺しちゃうの」

…だそうで。

更に、

「綺麗だよ」

などと答えると、

「他人の女に手を出すな」

と、『彼』が鎌を持って来るのだそうで。

くれぐれもお祭りをやっている隅の方で

一人芝居じみたことをしている青年にはベッコウ飴を持たずには近付かないで下さい。

彼女に質問されたければ別ですが。

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死んでしまう人達
2005年9月13日/投稿者:teruaki

実際に経験することです。

自分は良く「予知夢」と呼ばれるものを見てしまいます。

それは、精神的に追いつめられた状態である程、はっきりと見てしまう様です。

普段の夢見は非現実的な内容ですが、

正夢になる時は現実的な夢見となります。

3〜4年前の大晦日に、地元(長崎県)TVで

大きく報じられた事故についてのお話です。

当時、コンビニエンスストアで夜勤のアルバイトをしていた自分は、

その日も夜勤明けの疲れでぐっすりと眠っておりました。

何時もの様に夢を幾つか見ていました。

五つ目の夢見の中ででした。

自分と、友人のDと、Dの友人の男性3人で

見知らぬ場所に輪になって腰掛けていました。

その場所はとても暗くて、

やっと皆の表情がわかる程度の明るさしかありませんでした。

直ぐに夢見の中だと気が付き、皆の様子を伺いましたが

何故か皆顔をうつむけていて元気が無いのです。

自分が「どうしたの?元気が無かね?」

と話しかけると、やっと顔を上げてくれましたが

やはり何も返事はありませんでした。

Dだけは返事を返してくれたのですが

俯いたままで、なんだかとても悲しそうに見えました。

ここで目が覚めました。

D以外の三人はどこかで会っているような気がします。

寝ぼけたあたまで必死にかんがえていると

かなり前にDと一緒に遊んだ人達だという事に気が付きました。

突然電話が鳴り、出てみるとDでした。

「・・・・はい・・・・こんな時間にどうしたの?」

「TV観とらんと?!前に一緒に遊んだGとHとKの事、覚えとるよね?」

「あぁ・・・うん・・・・その人達がどうかしたの?」

「XX自動車道で事故を起こして亡くなったとよ?さっきTVで流れよったよ・・・。」

「えっ・・・・・え?・・・でもさっき皆夢に出てきていたけど・・・。」

「えっ。・・・・・・。」

Dからの情報を聞いて驚くとともに、ショックでした。

だから話しかけても皆、返事もせず、俯いて元気が無かったのだと気が付きました。

自分は何故かこのような夢を見てしまいます。

人が亡くなる場合は必ず自分も一緒におり、

登場する人はきまって元気が無く、その部屋もとても暗いのです。

夢を見るのはその瞬間であったり、亡くなる幾日も前からだったりします。

その度にいつも感じるのは、もっと具体的な方法で教えてくれたら

未然に防げるかもしれないのに、という無念で悲しい思いです。

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夏のドライブ
2005年8月27日/投稿者:hikari

この話は私の小学校の時の担任の先生が話してくれた、

本当にあった話です。

時はその先生が若かりし頃、

今の旦那さんと結婚する前、山へとドライブに行ったそうです。

行きは楽しく話をしたりしていたそうですが、

帰りに事は起きたのです。

帰りに路側帯の所で、男の人が立っていたのです。

先生は息を呑みました。

そこの山はそんなに険しい所では有りませんでしたが

その男の人は、暑い夏の日にもかかわらず、

ファー付きの分厚いジャンパーを着て重装をしていたそうです。

そこはすぐに通り過ぎたのですが

少しして旦那さんが、

「なぁ.....今....人が立ってなかったか...?」

と、静かに言ったのでした。

先生はすぐさま首を縦に振り

2人とも顔を真っ青にして山を下りたそうです。

降りていく途中、先生の耳に

「乗せて.....くれませんか....?」

と、苦しまぎれの声が聞こえたらしいのです。。

夏なのに背筋が凍る体験をしたそうです。

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過保護
2005年7月8日/投稿者:えてん

このまえ守護霊みたいな

なんだかわからない女の子の話を投稿させていただきましたが

19歳くらいのころからなんだか不思議な現象が立て続けて起こり、

偶然だろうと思ってきたのですが

最近はそれがほぼ怪奇現象に変わってきたので投稿します。

19歳のころから、私は恋愛がうまくいかなくなりました。

ケンカしてしまうとかそういうのではなく、

付き合っている人の身内が急に亡くなって遺産のことでもめ、

なかなか会えなくなってしまったり、付き合っている人が事故にあって

私のところまで来れなくなってしまったり・・・

そういうことが付き合い始めて

一週間か、一ヶ月も経たずに必ず起きていたのです。

最初は自分に魅力が無いんだと思っていたのですが・・・

7人目の彼氏のときでした。

一緒に食事をとりにいったファミレスでのことです。

彼氏「なんか、僕らの上のランプだけ揺れてない?」

言われて見てみると、確かに揺れています。

春先で、そんなに強く冷房や暖房が入っているふうでもないのに。

しかし、あまり気にせずにいました。

そのあと家まで送ってもらい、

部屋で本を読んでいると電話がかかってきました。

彼氏からです。

さっきまで一緒にいたのに何かと思いつつ、電話に出ました。

彼氏「事故った。車が浮いたんだよ。横から押されてガードレールにぶつかった」

彼氏の話はこうでした。



いつものように帰る途中、

何もない道でいきなり助手席側から車を押されたらしいのです。

驚いてそっちを見たら青い小さい手が一本、車の窓を押していたとか・・・

その直後、ガードレールにぶつかったらしいのです。

その一件があったあと、彼とは2回会ったきりです。

また次の次に出会った彼氏も特殊でした。

仲良く遊びに行き、帰りに別れるときのことです。


私「また会えるよね?」

彼氏「うん、大丈夫。なんで聞く・・・」


パシッ


何も無い、空中でいきなり音がしました。

ラップ音ってこういうものなのでしょうか。

彼氏「心配しなくても会えるよ。会いたいって思っていれば・・・」



パシッ、パシッ。



彼氏「・・・何だろね、この音。会うなって言ってるのかな。」

そのときの彼氏は何か見える体質の人らしく、普通に受け止めていました。

彼氏「もう二度と会わない。絶対会わない。」

何の音もしません。

私「え、でも会うよね?」

彼氏「うん、会う。」





パシッ





彼氏「でも、あぁ言ってるから。会わない。これでいいんだよね?」

彼氏「帰ったらまた連絡するから。次に会うときのこととか・・・」






パシッ






このときは本当に不思議でした。

その彼とももう別れてしまいましたが・・・。

今付き合っている彼氏とはかろうじて半年もっています。

ですが、空き巣に入られたり事故ったりとあいかわらずです。

偶然にしては濃厚に不幸が来すぎです。

私に彼氏をつくらせないつもりなのでしょうか。

守っているつもりなのだとしたら、過保護すぎます・・・。

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殺人者の霊
2005年7月15日/投稿者:えてん

過去に嫌なものにとりつかれたのでその経験を書きます。

もう成仏されてると思うのですが、あの経験は忘れられなくなっているので・・・

去年の秋ごろ、

いつものように学校から家に帰って時間も遅かったんですぐ寝たんですよ。

まさかその後、なかなか目覚められないとも知らずに。

夢の中で、私は私の家ではないところにいました。

汚い、古い日本的な家。

ふとんはたたみに直引きで、その上に私が寝ている。

私の家は今マンションでフローリングで、寝るところはベッドです。

前の家は日本的な一軒家でしたが二階のベッドに寝てました。

なので、間違いなく自分の家ではないところで寝ていたのです。

しかも、体は女ではなく男。性別が違っていたのです。

そして、夢の中の私はとあることを無意識のうちに認識していました。


「この部屋で私は人を殺して、床の下に埋めた。その場所はふとんの下。」


つまり、私がふとんで寝ているその下ですごい形相をした死体が

同じ格好で横たわっているわけです。

ものすごく気持ち悪い。

それで私は

「明日言おう、明日誰かに言おう。だけど、言ったら私は捕まってしまう」

と悩みながら横たわっていました。

夢の中で一週間が過ぎました。

誰かに言うこともできず、でも毎晩夢に見る床下の死体で悩み。

とうとう、死のうかと思い天井の梁にロープをかけたところで目が覚めました。

目がさめた瞬間に私は「私が殺した!」と叫んでいました。

目が覚めると、目の前に男の人が立っていて私の心の中に話しかけてきました。




「俺はこういう経験をして死んだんだよ。でも、死んでから後悔している。
死ぬ前に誰かに言いたかった。胸に秘めたまま死にたくなかった。
死んでからでも誰かに言いたいとずっと思ってきた。
あなたの口を通じて誰かに言って欲しい。」




そう言って、私の中に入るように消えていってしまいました。

そう言われてしまったので、その日のうちに親友二人ほどに打ち明けたところ、

かなり私も気が楽になりました。

(実際は私が殺したわけではないので
何で気が重くならなきゃいけないのかさっぱりわかりませんでしたが。)

人助けをしたのか、してはいけないことをしてしまったのかは今でもわかりません。

人を殺してやましく思うのは当然なのですから。

正直、打ち明けたいという思いより

殺してしまった罪悪感で苦しんで欲しかったです。

ここでまた言うことで人の目に触れるわけですが、

なんにせよこれで浮かばれてくれると幸いです。

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彼女
2005年6月13日/投稿者:蜥蜴色

中学校の音楽室。

その奥の準備室。

その奥の奥の準準備室。


音楽室は私の大好きな場所でした。

いえ、私以外にも・・・

音楽の好きな人達の憩いの場でした。


けれど、時にぞっと寒気を感じ

得たいの知れぬ不安に駆られたのです・・・。



少し此処からは回想に入ります・・・



私は当時、合唱部でした。

関東大会で金賞を取るべく頑張る中学生。

それを励ます先生。


そして在ってはならない存在。


一年生の頃に、一回。

二年生の頃に三、四回。

三年生の頃に一、二回。


私が『彼女』と接触した回数です。

初めて会った時は、私が先輩に叱られている時でした。

先程から視界の隅で、『彼女』が私の事をじっと見ているのです。


明らかに異常だと気づいてはいました。

見た目はジャージも同じ。

身長、肌の色、目の色・・・

ええ、不自然な所は何一つありませんでした。


けれど、『彼女』から滲み出る力というか、何というか、

言葉では説明の付かない『思念』というのでしょうか。

それが私の肋骨の辺りを強く圧迫するのです。




ぎ し り 、ぎ し り 。




呼吸は愚か、声なんて出る訳がありません。

先輩の説教が終わるまで息を切らせて泣いた後には、

『彼女』はあの圧迫感と共に消えていました。

その後も、上記の通り・・・私は『彼女』を何度か目撃しました。

いえ、会ったと言う方が正しいでしょう。


『彼女』は私を見ていました。

間違いなく、私を見据えて何か言おうとしているのです。

悲しげで、強い力を持った目で。


けれど私は『彼女』の存在を気にしつつも、

何も知らぬ内に卒業してしまいました。

今でも時折、後輩からのメールを呼んでいて

『彼女』の存在を感じさせる話を聞きます。


鍵を締め切った音楽室で、止まぬグランドピアノの音。


先生達は「またか。」で済ませてしまうそうなのですが・・・

私には『彼女』の言いたい事を聞けるような、

強い霊感なんて無いのです。

また出会う事など無い様に、『彼女』の冥福を祈ります。

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不思議な体験
2005年6月5日/投稿者:水姫

ハジメマシテ、素材を探してサイト上をウロウロしてたらここを見つけたので、

あたしも書き込みたいと思います。


あれは、あたしが中学2・3年くらいのときだったと思う。

当時住んでたあたしの家は、6畳3部屋のアパートだった。

玄関から入るとすぐにお風呂とダイニングキッチン。

ダイニングキッチンの向こうはママと妹とあたしの寝間で、

その隣があたしの部屋兼、パパの部屋。


その日は、学校から帰ってきてめんどくさい宿題を終わらせ、ママと夕飯を食べた後

当時は小さかった妹を寝かしつけ、

寝間の障子を閉めてからママと二人でテレビを見ていた。

二人で笑いながらテレビを見るといつの間にか夜の10時を過ぎていて、

ママはあたしに、「寝ないの?」と、聞いてきた。

「寝ないよw明日学校休みだし♪」などとチョロッと会話を交わしていると、

テレビを見ているあたしの視界を何かがチラチラ動いている。

当時の家の部屋は狭かったから少し工夫を凝らしていて

ダイニングとお風呂を茶箪笥で区切っていて、

そこにテレビをはめ込んでいたんです。

だから、たんすの後ろを何かが、といより誰かがチラチラ・・・・・・。




「なにしてんの?」




何度もタンスの裏を覗き込むあたしにママが言った。

「いや?なんでもないw」



・・・・・・きっと気のせいだ、てか、あたし疲れてんのか?

多分そんな感じ。と思いながら、テレビを見続けていた。

しかしまた、すぐに何かがちらつき始め、テレビに集中できずにいた。

「さっきからなにやってんの??」

ママがイラつきながら、あたしに聞く。

「いや・・それがね?さっきから何かそこを出たり入ったりしてこっちのぞいてんの。
それが、見ようとすると隠れちゃってwだから、きになってさ。」

見えないそれは、小さな人だった。

4・5歳の髪の毛が残バラ髪というか、ボサボサ頭というか。

ボロボロの薄汚れた服を着て、お風呂も何日も入っていないような子供だった。

性別もわからなかったが、男の子だと思う。

それから、しばらくそのこはあたしの視界をちらついていた。

そのうちだんだんそのコに慣れ始めた頃、急にそのコはあたしの視界から消えた。

何ヶ月か経って、そのコの存在を忘れてた頃、

あたしはいつもどうり自分の部屋でイラストを書いてた。

何時間かブッ通しで書いていたので、

少し休憩しようと、思ったときふと目の前を足が通った。

影の様な、薄黒い足。

しかし、なぜか左足だけ消えかかっていた。


その頃から、どこか敏感になっていたあたしの背中に冷たいものが流れ

その瞬間全身の鳥肌という鳥肌が総立ちになった。

「コリャまずい・・・・。」

そう直感したあたしは、仕事先のママに電話をして今起こった出来事を話した。

するとママは、「部屋の真ん中に盛り塩とお線香を一本立てて
お線香が消えたら、盛り塩をトイレに流しなさい。」

急いで帰るから、

そう言って電話を切ったママを待ちながら言われたことを済ませて

部屋の隅で音楽を爆音にしてママの帰りを待った。

さすがに、厭な予感を拭い切れなかったあたしは、

気分を紛らわすためイラストに夢中になっていた。



妹が帰ってきた。

そのすぐ後にママが帰宅。

「ただいま、どう?ちゃんとやった?」

「うん、やった。」

「あれ?しおみは?」

「外でバスケの練習してるよ。」

「たまには、しおみの相手してあげなさいよw」

「ww、そうだね、いってこよー」

そう言って家を出て、外で遊んでる妹に声をかけた。

「ねぇちゃんが練習相手になっちゃる!」

そして、1時間後・・・・・・。

左足骨折。



次の日の夜。

ギブスをされ痛みもなく帰ってきたあたしは

初めて使った松葉杖というものと格闘し疲れきっていて、9時ごろ寝てしまった。

その日の夜中、トイレに起きたあたしは便所に行くのも一苦労。

すっかり目が醒めてしまった。

でも、動くことがままならないあたしは

布団に入って横になり眠くなるまで目を閉じてジィッとしていた。

すると耳元で、いきなり




「おいっっっ!!!!!!!!!!」



「エッ!?」

びっくりして、目をあけた。

しかし、目の前にはしずか〜な夜。

隣には、妹とママ。パパは仕事でいない。

「誰?今の声・・・ってか、
男の声ってありえないんだけど・・なんで枕から声すんの・・・・・・!?」

でも、みんな寝てるし起こせない。

黙ってそのまま寝ようとすると、



「みずきっ!!!!!!!!!」


「○・☆?△*!?」


「な、名前呼ばれた・・・・」

いやだぁ、まじで寝よう・・・!!

そうして、いつのまにか寝てしまったあたしは

今でもこんな体験日常茶飯事です。

また、何か面白い体験したら、メールします。



追伸

最近になって地元の占い師の人に見てもらったんですよw母親の紹介で。

恋愛とか、特に知り合いが死ぬ前の日にその人となにかあるとか、いろいろ。

そしたら、思わぬことが発覚してw

それは、私が初めて見た子供の話を占い師に話したらところ

母親は私の前に子供を一人身篭っていて

そのコは事情により流れたとか、流したとかで・・・。

後日談ですけど、そのときの子供は私の兄か姉かどちらかだったみたいです。

母親に聞いたところ・・

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浮遊
2005年5月16日/投稿者:英莉

あまり恐怖体験とはいえないかもしれませんが、

初めて体験したのは、たしか幼稚園くらいのときだったと思います。

私はいつもより早く目が覚めました。

私の寝室はその時2階にあり、

1階のリビングにいくには結構急な階段を下りなければなりません。

私は半分寝ぼけながらも、階段を下りようと一歩、足を踏み出しました。

ところが、階段に足はつきませんでした。

踏み外してしまった!と思い、痛みにたえようとかたく目をつぶりました。

でも、いつまで目をつぶっていても、落下する気配がありません。



おそるおそる目をあけると、私は、ふわふわと宙にういていたのです。



10cmほど、階段から足がはなれています。

私はいつ落ちてしまうかひやひやしていました。

(宙に浮いているということには、あまりおどろきませんでした。
たぶん恐怖のほうが勝っていたのでしょう)

すごくすごく、怖かったです。

しかし落ちることなく1階にたどりつき、その瞬間に床に足がつきました。

なんとなく後ろをふりかえると、ぼうっと白い影がういていました。

それははっきりおぼえています。

そしてリビングの戸をあけ、

部屋にはいるといつもと同じように母が朝ご飯の準備をしていました。

時刻は6時ころだったと思います。

その後、毎年6月くらいになると何度か同じ体験が続きました。

しかしそれも小学校4年生くらいまでで、今はそんな体験はありません。

あの体験はなんだったのか、本当に私は宙をういていたのか。

白い影はなんだったのか。 

それはわかりませんが、これが、私の唯一の不思議な体験です。

自分でも信じられませんが、私はたしかに、あのとき宙に浮いていたのです。

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ギターの音が
2005年5月12日/投稿者:jun

「ポン・・・・・・・・・・・ポン・・・ポン・・ポン・・・・・・」

「うぁ・・・・また聞こえる・・・・怖い・・・・・イヤだ・・・・・・・・・・」


「あの音」を一番最初に聞いたのは、いつのことだったのか?

今では全く思い出せません。

でも気が付いてみると

半年に一回ほどの割合で、寝付く前に聞こえてくるようになっていました。





あの音が・・・。





私が小学生の頃。

当時は公営住宅住まいで家が狭く、子供部屋を妹と共有しておりました。

当然、寝る時も布団を並べることになるわけですが、

妹が3分と経たずに寝息を立てるのに比べ、私の寝付は最悪です。

布団に入ってから最低30分、

長ければ1時間は眠ることができずゴロゴロと寝返りを打つ毎日。

そんな状況を見透かすかのように、あの音は聞こえてきます・・・。





それはギターの音。





子供部屋には、何故か?

ギターを模した状差し(葉書などを入れておく薄型の箱のようなもの)が

天井近くの壁に掛けられており、暗闇の中でそれが音を発するのです。







「ポン・・・・・・・・・・・ポン・・・ポン・・ポン・・・・・・」







特に何かの曲を弾いているわけでは無いものの、

指が弦を押さえる時に聞こえる「キューッ」という音までがリアルに発せられ

単一の音だけでなく複数の音階を使い分けています。


この音が聞こえるたび、私は恐怖のどん底に突き落とされ、

布団に包まってガタガタと震えていました。

そう頻繁に聞こえるわけではありません。

忘れた頃に、

まるで忘れられることを嫌がるかのように、突然、何の前触れも無く・・・。



あまりの恐怖に怯えた私は、ある日母にそのことを打ち明け

状差しを外してくれるよう懇願しました。

が、母は全く取り合ってくれず、

相変わらず「それ」は子供部屋の壁の一部を占拠しています。

「夢でも見たのだろう」といった程度にしか思っていなかったのでしょう。

自分が親になってみれば、その時の母の気持ちは十分に理解できるものです。

でも、ある日、母自身があの音を聞いてしまう結果になるとは・・・。







父は公務員だったのですが、

当時は一ヶ月に一度の割合で当直があり、家には帰ってきません。

そんな日は、母も一緒に子供部屋で寝るのが習慣となっていました。

その日も父が当直で、

母は私たちと一緒にいつもより早めの寝床へ着くこととなります。






明かりを消してから10分ほど経った頃でしょうか。

妹はもう寝ていましたが、母はまだ起きているようです。

そして、ここで「あの音」が聞こえてきました。









「ポン・・・・・・・・・・・ポン・・・ポン・・ポン・・・・・・」
「うぁ・・・・また聞こえる・・・・怖い・・・・・イヤだ・・・・・・・・・・」








私は意を決し、小声で母に告げました。

「お母さんお母さん。ほら、鳴ってるよ。聞こえるでしょ、聞こえるでしょ。ほら、ほら!」

しかし、母は私に背を向けた状態でこう言います。



「何も聞こえないよ!・・・早く寝なさい・・・」



その少し怒ったような口調は、

逆に、間違いなく母もこの音を聞いているとの確信を私に持たせました。

私同様、恐怖を感じていたに違いありません。

でも、ここで自分までが音の存在を認め、恐怖心をあらわにしてしまうと

息子の不安を増大させてしまう。

そう考え、敢えて音の存在を否定したのであろうことは、

今となってみれば容易に想像がつきます。



結局、私はその後何も言えず、また、母が隣にいる安心感も手伝って、

いつしか眠りに落ちていました。





そして、次の日の朝も音に関する話題は全く出ず、いつもと同じ一日が始まります。

もちろんギターもそのまま。

ここで取り外してしまうと、やはり音の存在を認めたことになってしまうわけですから、

母は意図的に外さなかったのでしょう。





その後も何度かあの音を聞きました。

でも、回数を重ねたところで慣れるものではありません。

その度に恐怖に震え、布団に包まる・・・。

一年に一度か二度、その日は
確実にやってきました。しかし・・・。

あれは忘れもしない、小学校6年生の時の大晦日。

美味しい料理を鱈腹食べ、紅白歌合戦やお笑い番組を見ながら、

大手を振って深夜まで起きていられる希少な時間。

人一倍正月好きな私は、至福の時を楽しんでいました。

が、除夜の鐘が鳴り始める少し前、

トイレへ行こうと子供部屋の入り口前を通った時のこと。

たまたまドアが開い いた部屋の中から、またしてもあの音が・・・。




「ポン・ポン・・・ポン・・ポン・・ポン・・・ポン・・ポン・ポン」

「なんてこった!こんな楽しい時に・・・」




でも、起きている時にあの音を聞いたのは、これが初めてでした。

しかも、その鳴り方がいつもとは明らかに違っています。

適切な言葉は見つかりませんが、

「激しい」との表現が一番近いといえるでしょうか。

更に、ちょっとだけ楽しそうに聞こえたのは気のせい?

あの音も、大晦日で少し浮かれていたのか・・・。

私は逃げるようにトイレへ入って用を済ませ、恐る恐る出てきました。

音はもう止んでいます。




「良かった・・・」



でも、その時なんとなく感じました。

「これで終わりかもしれない?」

その予感は的中します。

その後、再びあの音が聞こえて来ることはありませんでした。

小学生最後の学年。大晦日。

この区切りの良い日に、いつもとは違う調子で鳴っていたあの音。

もしかしたら、私に別れを告げていたのかも?

そう思うのは考えすぎでしょうか・・・。



小学校を卒業して一年近く経った頃、妹もそこそこの年齢となったため

流石に同じ部屋ではまずかろうと、

両親は役所に許可を得て裏側に部屋を増築しました。

妹は新しい部屋へと移り、今までの部屋は私が独占できることになります。

その家庭内引っ 越し作業の際、

貼ってあったポスターを一度剥がそうと思い、椅子に乗った時です。



ポスターの隣には、あのギターがありました。

それまでは怖くて触れず、見て見ぬふりをしていたギターの状差し。

もう一年以上も音は鳴っていません。



「触ってみようかな・・・?」

そう考えるが早いか、私の指はギターに張られた弦を弾いていました。

「ボヨヨん・・・・・」

「???」

それまでに何度も聞いたあの音は、張りのある本当のギターの音。

客観的に考えれば、とても美しい音色といって差し支えのないものでした。

でも、いま聞こえたのは全く違う、チョット間の抜けた音。

このとき、私は初めて気がつきました。

音は、間違いなくギターの位置から聞こえていたものの

ギターそのものが物理的に音を発していたわけではなかったのだということに。

が、周囲にも、音源となりうるものは何もありません。


一体、本当ははどこから聞こえて来た音だったのか?

或いは、この世の音ではなかったのか・・・?

答えは謎のまま、解決されることはありませんでした。


十数年後、実家は新築されて少し離れた場所に移転したのですが

あの公営住宅には現在も人が住んでいます。

音を発していたのがギターの状差しでは無かった以上、

今でもあの部屋のどこかに、音源は存在しているのかもしれません。

もしかしたら、今住んでいる人も、あの音を聞いているのか・・・。


今では実家を離れていますが、盆と正月を含めて年に3〜5回ほど帰省しております。

両親が、孫の顔を見に私の自宅へ遊びに来ることもあります。

そんな時、母の顔を見るたび、聞いてみたいって思うんです。


「あの時ギターの音、聞いたよね?」

今まで、何度と無く口まで出掛かって飲み込んだ言葉。


父が当直だったあの日以来、

ギターの音に関して話をしたことは一度もありません。

私と母との間では、ある意味暗黙のタブーだったといえるかも・・・。

でも聞いてみたい。間違いなく、母もあの体験をしていたはずなのですから。


ただ何となく、そのうち聞ける日が来るような気がしています。いつか。きっと。

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2号室
2005年4月26日/投稿者:S

先週、私はYちゃんとKちゃんと3人でカラオケに行きました。

受付をすませ、2号室へ向かいました。

私たちはテンションも高めで歌っていました。



そして、歌いつかれてテンションも普通になったころ・・・

Yちゃんが部屋の後ろのほうを横目で見ていました。

それに気づいたKちゃんと私は、

「どうしたん?」と、聞きました。

すると・・・・・






「そこに何かおるんよ・・・。」





と、部屋の後ろを指差しました。

怖いのが嫌いなKちゃんは、「え〜!?何もおらんよっ!」

と言いながらまた、はしゃぎだしました。

「テンションあげようやぁ〜!」と言う私の提案で、

楽しい曲やテンションの上がる曲をまた歌いはじめました。

それでも、Yちゃんはチラチラ後ろのほうを見ています。

でも、もう私は何もいわず気にしないようにしていました。

それからしばらくしてKちゃんはトイレに行きました。

その間、2人で歌を歌っていましたが、歌い終わったときYちゃんが

私のほうを指差し、スーッとその指を部屋の後ろのほうへスライドさせました。

そのとき私は怖くて何も聞くことができませんでした。




その日の夜、私はその時のことがどうしても気になってメールで聞きました。

「ねぇ、今日カラオケでいいよったやつ・・・あれ本当なん?」

『うん。でも、本当は後ろにいたんじゃなくて、
KちゃんとSさん(私のことです)の間を行ったりきたりしてたんよ・・』

「・・・じゃぁ、うちのほうに指差して後ろのほうにスライドしたやつは?」

『あれは・・・Sさんの隣にそのヒトが座っててSさんのこと見てたんよ・・・。
で、ドアのほう見て立ち上がってどっかいったんよ。
そのあと、Kちゃんが帰って来たんよ。。』


私は恐怖でそれ以上聞くことができませんでした。


そして、その日から3日ほどたってまた3人で遊びにいきました。

昼食を食べているときYちゃんはKちゃんにそのことを話しました。

Kちゃんは信じられないと言うような顔をしていました。

Yちゃんは話しを続けました。それは私も聞いてない話しでした。


『途中でカラオケの機械の後ろの方に入って遊んどったやろ?
そのとき、そのヒトこっちに向かって歩いてきとったんよ。。
なのにKちゃんそこから出ようとせんけぇ・・。』


そのことを聞いたKちゃんは青ざめて何も言えないようでした。

私もそれを想像してしまって混乱していました。

そこでその話しは終わりました。そして、いつもどうり遊びました。


そこのカラオケは以前から

「出る」という噂はあったと言う事を後日、先輩から聞きました。

その先輩もそこで恐怖体験をしたらしいです。

それ以後、2号室には入らないようにしています。

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心臓に走った何か
2005年4月16日/投稿者:M橋R子

私が小学校二年のときです。

噎せ返すような照り付く陽射し・・・。

鼻につく青葉の匂い・・・。

そして

心臓に走った何か




夏休み。


私たち家族四人で四国へ旅行に行ったときのことでした。

私は車でつまんないとぶつくさ言いながらシートに深く腰をかけていました。


私には変な癖があります。

それは漫画を1回だけでなく

5回ぐらい繰り返し詠まないと気が済まないという癖です。


そしてほぼ完全に覚えた内容を、ヒマな時などにふと思い出し笑いすることです。

この日も同じ事をしていただけだったんです。

ただきっかけがちょっと変わっていただけで・・・。






ピンッッ






何かが私の心臓を一直線に、走り去るかのように突き抜けていきました。

と、その時からとあるギャグ漫画にあったネタで

『喪に復せ!!』

という言葉が浮かんできたのです。

縁起の悪い言葉ですが、

その漫画では状況的にも何にしても、面白いストーリーだったんです。

なのに・・・。


私はそのギャグを思い出して気分が楽しくなって、

まるで何かに獲りつかれたかのように車内でずっと叫んでいました。


「『喪に復せ!喪に復せ!喪に復せ!!喪に復せ!!!!!』」


ここが精神病院だったら取り押さえられているような感じで・・・。

お母さんやお姉ちゃん、

もちろんお父さんも縁起が悪いからやめろと口々に言いました。

あたりまえのことです。


しかし幼かった私は、静かだった家族全員が一緒に騒いでかまってくれて・・・。

大人が焦っているような情況が楽しくてしょうがありませんでした。


そのとき、父の買いたての携帯が、新鮮な着信音を奏で始めたのです。

「もしもし。えッ?亡くなった?おじさん?!K島の?
ちょっと待て今代わるから・・。」

私「え??何??」

父「Y子(母)!電話だ!!」

母「はい。もしもし・・・――――――。」


携帯を手にとってただ無言で呆然としていた母の目から、

一筋の涙が零れ落ちました。

「そっか・・・。Sが・・・・・・。」

Sというのは私の叔父の名前(仮名)です。


私の心臓に何かが走ったちょうどその時。

叔父は亡くなったそうです。

今は幼かった時の事だから叔父の記憶も少ないけれども、


でも、

でも楽しくって、明るくて、家族思いで・・・。

私と遊んでくれたり、一緒に話してくれたり、とても

とてもいい人で・・・・・・。


私の最後の生きていた頃の叔父との記憶は、

私の手をとって優しく、素敵な歌を歌ってくれた記憶です。


そして、葬儀の時の記憶も一つ・・・。


棺の中の叔父の顔がとても

とても穏やかだった事です。

叔父は私に知らせてくれたのでしょうか。

あんな嫌な方法でしか、家族に伝えられなくて

あんな穏やかな顔でいて

私としては悲しい不思議な・・

小二の夏休みでした。


噎せ返すような照り付く陽射し・・・。

鼻につく青葉の匂い・・・。

そして

母の涙で全てを悟った、

悲しい、不思議な日・・・。

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守護霊?
2005年4月15日/投稿者:えてん

今ではあまり見えなくなってしまいましたが、

小さいころの私はいろいろ「人間でないもの」が見える子供でした。


心臓がドキドキして身動きがとれなくなるほど怖いものもありましたが

ほとんどは霊かどうかも疑問なほど怖くないものだったので、

あまり霊というものを恐れていませんでした。

今回書く体験談も、はたして霊なのか妖怪なのかわからないものなので

あまり怖くはないと思います。


はじめてそれを見たのは小学校のキャンプのときでした。

キャンプといっても校庭にテントをはって寝るのでとくに面白いこともありませんでしたが、

きもだめしやビンゴ大会などのイベントもあったので喜んで参加していました。


昼は楽しかったのですが、

ビンゴ大会もきもだめしも終わってから大変なことが起こりました。


客観的に書くと、私が泣き出したので

同じテントの人たちにテントから追い出されてしまったのです。

その人達は私がきもだめしのときの恐怖で泣き叫んでいると思ったのかもしれません。

もしくは、家に帰りたいとかそういう理由。


でも、違っていました。私が泣き出した理由はビンゴ大会にあったのです。


ビンゴ大会の景品に、スーパーボールがあったのですが・・・

そのほとんどに、鬼のような顔がついていたのです。

今思い出すとどざえもんのような顔だったのかもしれません。

とりあえず青や黒や緑、赤などに変色した顔がずらりとあって

気持ち悪いと思っていたのですが・・・


同じ部屋の人が運悪く(?)ビンゴでそろってしまい、

スーパーボールをもらっていたのです。


そして、そのあとのテントでそのことを同じ部屋の人達に言ったところ、

「ピンク色の普通のボールだよ」と言われ、顔に近づけられたのですが

やはりものすごい顔があり、至近距離で見てしまった私は怖くなって泣いたのでした。


テントから追い出されて、私はしかたなく砂場に座り込んで砂山を作りはじめました。

本当にバカな子供だったので、

「ちくしょう!明日みんながおきるころまでにここに富士山作ってやる!」

とでも思っていました。


そして作り始めてさほど時間もたたないころ、

私は横に人がいるのに気付きました。

砂場の外から、じっと見ているおかっぱの女の子。

保育園児くらいでしょうか?

それにしても、ピンクのトレーナーに緑のパンツという

ものすごくダサい格好をしています。


今考えると夜中にそれくらいの子がいるのは変ですが、

あまり考えていませんでした。

それよりもその子があまりじっと見ているので一緒に遊びたいのかなと思ったのです。


何も言わずに見つめているので、誘ってみることにしました。


私「一緒にあそぶ?」

女の子「うん!」

私「何してあそぶ?」

女の子「鬼ごっこ!」

私「(運動が嫌いなので)えー。別のにしようよ。ここから動きたくないよー。」

女の子「じゃぁ棒倒し(すなやまの上に棒をさして少しずつ砂をとっていく遊び)!」

私「棒がないよ。」

女の子「探してくるね!」

その女の子は非常に活発な女の子なのか、すぐに棒を拾ってきてくれました。

すごくその子との話や遊びが楽しくて、夢中で遊んでいました。


・・・朝まで。


朝になると、友達が砂場にいる私をみつけてかけよってきました。


友達「ここにいたの?今まで何してたの?」

私「ずっとこの子と棒たおししてたんだよ。」

友達「どの子?」

私「えっ?」


友達に聞かれて正面を見ると、すでに女の子はいませんでした。

今さっきまで棒倒ししていたので、正面にいるはずなのに。

寝ていたのかも、と思いましたが

ずぼらな性格の私が棒倒しの棒を見つけてこれるはずがありません。

ましてや、僕の座ってる反対側には

あの女の子がとった砂の山ができているくらいなのです。


不思議に思いながら、「そんなこともあるのかな」と思って

みんなと一緒に朝ごはんをとって帰りました。


このことがあってからか、私の家でしばしばその女の子を見かけます。

私の部屋で親などが勝手に寝ていると

その隣の部屋から走り回る音が聞こえたりとか、

私が寝ていると明け方にいきなり大きな音で

(積み木をくずすような音やうなり声、笑い声など)

私を起こしたりとか。

歯を磨いていたら鏡に映ったとか、

風呂に入ったら

お湯に一緒につかっているように女の子の上半身がうつってたとか。

あまり怖くは無いのですが、唯一ホラー映画を見たあとに

その映画に出てくる子供の霊とおなじ仕草をしながら出てきたときは怖かったです。


友達や親戚などで家に来てその子を見てしまった人達怖がっていますが

それほど危ないことをしないところをみるときっといたずらのつもりなのでしょう。


別にルックスも怖い子ではないし、

私を助けてくれた(だって夜中1人で外にいたんだから

誘拐されていてもおかしくはなかったかもしれない)こともあるので、

好きにさせてやっています。

それに、彼女いわく

「たとえ怨念でも人間の生きた証なのだから
むやみやたらに触れたり消したりすべきものでは無い」らしいので。

いたずら好きだけど、困ったときには助けてくれる。

これは霊なのでしょうか?妖怪なのでしょうか?それとも・・・?

今も彼女は私の部屋にいます。

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入学を祝って下さい
2005年4月13日/投稿者:菱松かぐら

これは、何年か前。私の中学の入学式の日の話。

私の家は団地。

それも、近くにある大学病院の名に肖った、「医大○団地」と言う名前。

一棟から九棟まであるその団地。築二十年程で、所々薄汚れている。

コンクリートで出来た階段に、人の顔の様なシミがある、

と言い騒いだのを覚えている。

それはもう、十年以上前の話だが。


私はその団地の四棟、四階「444」号室に住んでいる。

と、言っても数が悪いので「447」になっているのだが。

四歳の頃はそれを聞きかなり喜んだ物だ。

「うわぁ、4がいっぱい!」と。

今は「4」という数字が苦手だ。

何かをするにしても、「4」は必ず避ける。

それが咳の回数等と言う、しょうも無い事でも。


そんな団地であるから、やはり恐怖体験に成り得る事の一つや二つぐらいある。

特に私の「447」号室。

此処は諸部屋より抜けてその様な出来事があるだろう。

と、言うのは私のただの予想なのだが

そんな時だった。


「明日は入学式だから」

今まで午前三時過ぎまで普通にネットを楽しんでいた為

十時に寝る、と言うのは生活リズム的に無理だ、と思っていたが、

(自分のせいなのだが)

思った以上の疲れに私は直ぐに寝付く事が出来た。




眠れない。

体は汗に濡れ、急に目を覚ます。

自分自身驚き、目を擦りつつ時計を手に取る。

時刻は十二時。

「何だ、あれから二時間しか経ってないのか」

時計を戻し、再び目を閉じる。





やっぱり、眠れない。

眠れないのも当たり前だろう。今までが今までだから。

そう思い、暫く秒針でも見てい様、と思った。我ながら地味な発想だ。

隣で寝ている母が寝返りをうつ。

布団がズレたので戻そうと、母の方を向くと・・・

私は目を擦った。

電球は一番小さい物が一つしかついていない。

それに私は両目とも合わせても視力は0.1に満たない、超近眼。

大丈夫。

ただの見間違えだって。

もう一度母の方を向く。


はぁ・・・。


安心の息をついた。

大丈夫、やはりただの見間違えだ。

布団を元に戻し、時計も戻す。

明日は大事な日だ。こんな事している暇は無い・・・寝よう。


やはり寝付けなかった。

が、それに私は疑問の一つも浮かべず、時計を再度見る。


三時、十五分。


不意に友人の言葉を思い出した。

「二時から四時は、悪い霊が活発に動き出す時間なんだよ。

意味も無く起きてたら、憑かれるよ」


・・・大丈夫だ。今までそんな事は一度も無い。

不意に、母の方を向く。


「え?」


思わず声が漏れる。


母じゃ、無い。












別の女が私の方を向いて笑っている。










長い、長い黒髪の女が。首だけの女が。

「・・・・・・・・・・」

目を瞑る。そして、また開く。

やはりいない。何処かに行ったのか、それとも見間違えだったのか。

その様な事が暫く有り、私が寝付けたのは結局、午前五時過ぎだった。

起きた時間は七時三十分ジャスト。

昨夜の事は両親には言わない事にした。

どうせ愚弄されるのが落ちだ。そんなことされるのは御免だ。

「制服はー」呑気に着替えを済ませ、一気に一階まで降りる。

途中、階段を踏み外しそうになる等は無かった。

もう、昨夜の事は記憶の断片になりかけていた。

「どうして」

私には確り聞こえた。

耳の中に響くような、女の、低い声を

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使用禁止
2005年4月6日/投稿者:M橋R子

私の中学一年の時の話です。

私R子と、私の友達A子とT美は、

その日に限って部活中に三人でトイレに行ったのです。

今思えば、私たちは最初からそこに呼ばれていたのかもしれません・・・・。


三年生が先に卒業し、がら空きになっていた南校舎・・・。

いつもは部室に近い東校舎のトイレを使用するのに

私たちは喋りながら歩いてるうちに

いつの間にかそこについてしまったのです。


R「あれ?何でここにきたん??」

T「え?私、皆について行っただけだよ?」

A「私だってそうだよ。」

T「え?え??」

R「いいじゃん別に。早く済ましちゃえば。」


話がキリがなかったものだから、私が二人にそう言ったんです。

しかし、


A「そだね。早く済ましちゃってよ。」

T「え??なんで?二人とも入りたかったんじゃないの??」

R「ええ?!私は行きたいなんて言わなかったよ?T美じゃないん?」

T「何でウチなん??!言ってないから!!」

A「え?え?私も言ってないよ!!!」


でも私たちは誰かがトイレに行こうと誘ったのを覚えていたのです。

覚えていたのですが・・・・・・。

『誰』が言ったのかは全く覚えていなかったのです。


A「やだ!なんか怖い!!戻ろうよ。」

もともと私とA子は、霊感らしきものが少しありました。

R「でもせっかくだから私入ってくるよ・・・。」

A「R子?!」

R「大丈夫だよ!・・・多分。」

T「・・・急げ。」


そのとき私の中で本能が叫んでいました。

『逃ゲロ』『逃ゲロ』と。

しかし私は吸い込まれるように三番目のトイレへと・・・。

すると、ふと・・・目に入ったのです。





四番目の『使用禁止』の文字が・・・。




鍵を閉めると、二人の会話が聞こえてきました。


T「・・・『使用禁止』?」

A「・・・開けてみよっか。」

T「えぃ。」



A「キャ―――――――――――――――――――!!!!!」



悲鳴と同時に私は個室から出てきました。


R「え??!何??!何???!!」

A「・・・・・・中・・・・・・・・・に・・・・・・!!」

T「何?!どうしたのA子!!?」

R「??」


壁に背をくっつけ目を見開いているA子の目線の先には・・・。





『使用禁止』




私は導かれるようにその扉を開けましたすると・・・中には


水浸しの女の子が睨みつけるかのような鋭い目をして立っていたのです。

R「ぅ・・・わぁ!!!」

ビックリして私はドアを叩きつけるように閉めました。

すると



カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ



トイレットペーパーを出す音が延々と聞こえてきたのです。

恐怖に我を忘れて三人とも全力で走って逃げました。

部室に滑り込むかのように入って

私たちは同じようなことを何回も繰り返し確かめるように話し合いました。

(話し合いと言えるかは分かりませんが・・・。)


R「居たよね?居たよね?!」

A「居た!居た!!視た!!!」

T「えぇ?!私なんも視えなかった!!!」

R「えぇ??!でも音・・・!!」

T「聴こえた!!あの、あのトイレットペーパーの・・・!!!」


こんな会話をずっとしているうちに

もう部活は終了時間をとうに過ぎてしまいました。


T「あ〜怖かった――!!」

A「うん怖かった・・・。」

R「ビクった―・・・!!!」

A「いきなりカラカラ言うんだもん。」

T「ね!ね!!」

R「心臓が飛び出るかと思ったー!!」

まだワイワイ騒ぎながら帰ろうと部室のドアを開けました。


するとそこには・・

さっきの女の子がびしょ濡れのまま私たちを見上げ

そこに立っていたのです。

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ドアを叩くモノ
2005年4月5日/投稿者:月華

これは私が小学校6年生の時の話です。

その頃私は塾に通っていました。

その日はいつもと何の変わりもなく過ぎていました。


最後の授業が終わって、私は友人と一緒にトイレに行きました。

私達以外にトイレに人はいませんでしたし、

トイレの数も私達の人数に余りある数ありました。

確かに私を含めた全員がトイレの個室に入りました。

皆がトイレの個室に入った少し後で、それは起こりました。



「ドンドンドンドンドンドン!!!!!」



誰かの入ったドアを叩く音がいきなりしたのです。

しかも尋常でない速さで、尋常でない勢いで……。

最初は驚いたけど、誰かがこっそり入ってきていたずらしたのだろうと思い

大して気に留めませんでした。



さて、私が個室から出ると、ほぼ同時に他の友人も出てきました。

例の尋常でなく叩かれたドアのことについて聞いてみると、

他の友人もその音を聞いていました。

「誰かがいたずらしたんじゃない?」

と友人の一人が言いました。

私もそれは思っていたことなので、皆で外にいる他の生徒に聞いてみました。

しかし誰一人としてそんなことはしていないと言いました。

やはり何となくでも嘘をつけば分かるものです。

しかしかなり大勢に聞いたにもかかわらず、

誰一人として嘘をついている感じがしてきませんでした。

私たちは気味悪がりながらも



「何あれ?ラップ音ってやつ?」


「怖――――!!」


と少しふざけながらその時はお互い家路につきました。


後日私が学校から帰ってきた時のことです。

その日は家に帰っても誰もおらず、一人でした。

家に帰ってから暫くして、私はふとトイレに行きたくなりました。

トイレに行って暫くした時それは起こりました。

確かに家には私以外誰もいなかったはずです。

家族の誰も帰ってきていないはずです。

なのに、急にそれは起こりました。




「ドンドンドンドン!!!!」



本当に急にドアをすごい勢いで叩く音がしたのです。

とっさのことで、ドアが振動で動いたかどうかはわかりませんでしたが

それは紛れもなくドアを叩く音でした。



私は驚き、急いでトイレから出て家中を見て回りました。

しかし、家にはやはり誰もいませんでした。



今でもふと思います。

塾でドアを叩いてきたモノと、家でドアを叩いてきたモノは同一のものなのか?

だとしたら、一体何を訴えたかったのか……?

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広島の鳩
2005年3月24日/投稿者:琉璃

これは私が中学生の時、先生から聞いた話です。

私が通っていた中学校では、

高校受験等を考慮して中2の春休み中に修学旅行に行くのです。

行き先は毎年京都、大阪という定番スポットなのですが、

ずっと昔は広島だったそうです。

何故広島から京都大阪に変わったのか?

その経緯を先生に聞いたら、詳しく教えてくれました。


まだ行き先が広島だった時、

主な目的は広島の悲しき戦争の跡「原爆ドーム」の見学だったそうです。

私も家族旅行で行ったことがあるのですが、

原爆ドームの周囲は戦争記念公園の様な物になってますよね。

慰霊塔や博物館など、結構広いんです。

そんな公園の敷地内にはあちらこちらで鳩を見ることができます。

皆さんも鳩は「平和の象徴」と言われているのを聞いたことがあると思います。

広島の鳩もそんな意味合いを担っているのでしょう。

おばあさんが餌をまくと何羽もの鳩が群がって餌をついばんでいる様子は

何ともほのぼのとする情景です。

しかし、そんな情景も吹っ飛んでしまう事件が起こりました。


なんと、生徒の一人が鳩を一羽殺してしまったのです。

どうやって殺したかは分かりませんが、当然大騒ぎ。

鳩を殺した生徒は先生と公園の管理者にこっぴどく叱られました。

その時は何とか事は無事に収まったそうです。

修学旅行もそれ以降は何事もなく進んだとか。

でも、修学旅行が終わった後に恐ろしいことが起こりました。


修学旅行を終えた学年が中3として学校生活を送っていたとき。

ある夏の朝。

警備員がある教室を見たら・・・


教室の窓ガラスが割れ、鳩が1羽教室の床の上で死んでいたそうです。

ガラスの破片が刺さり、鳩の体は血塗れだったといいます。




そして・・・その鳩が死んでいた教室は

修学旅行で鳩を殺した生徒がいる教室だったのです。




普通じゃ考えられません。

何故鳩がわざわざガラス突き破る勢いで飛んでいたのか。

何故よりによって鳩を殺した生徒の教室なのか。

でも、これは実際に起こったことなんです。




翌年から修学旅行の行き先が変更になったのは言うまでもありません。

つい、考えてしまいます。

あの鳩は広島で殺された鳩の怨念によって起こった事件じゃないのか、と。

平和の象徴としての鳩の忠告じゃないのか、と。

・・・戦争によって亡くなった人々の気持ちじゃないのか、と。

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地震が起こる前に
2005年3月22日/投稿者:B・Sの弟子

大して怖い話ではありません。

また、JuJuの趣旨とは外れてしまうかもしれません。

しかし、自分では気になってしょうがないので書かせていただきます。


2005年3月20日、福岡県西方沖地震がおきましたよね。

その火の午前6時30…

私はこのところその時間に目がさめてしまうのですが、

休日だったので、もう少し寝ようと思いました。

意外とすんなり寝付くことができ、気が付いたら、私は白いカーディガンを着て

家のリビングに立っていました。

もちろん夢です。

よく夢は見るので、はっきりとそういう意識がありました。


夢の中ではもうお昼近くで、私はなぜか急に不安になり

手近にあった大きなバッグに、自分の服を詰め込み始めました。

そして、一月ほど前に自分で用意した

缶詰や飲料水の入ったダンボールも(とても重くてもてるはずがないのですが)

抱え込みました。

そして、私はそのとき家にいた妹に無理やりコートを着せ

(外は暖かいのに、冬用のコートを)

自分は例の荷物を持ったまま玄関に立ちました。

そのとき突然、家が上下に激しく揺れだしました。

私は即座に、妹の腕をつかんで、外に飛び出しました。

近所の人もみんな外に飛び出してきて、そこからはあまり覚えていないのですが

よくテレビで見る、避難体制になりました。

幸いなことに道路や家屋が倒壊してはいなかったので

救援物資はすんなりと届けられました。

おやつ頃になぜか大福もちがトラックいっぱい届けられ、駅前にあるパン屋さんの前で

妹と一緒に受け取った…そのあたりで目がさめました。

(途中からおかしなことになっていますが、
実際に見た夢を、覚えている限り書きました)

最近夢見が悪かったので、大して気にせずにいました。

しかし、その当日、ちょうどお昼のニュースで、福岡県西方沖地震を知ったのです。

自分の夢より、ずっと被害は大きかったわけですが。


こういったことは、今回に限らないのです。


2年程前ですが、私は夜の12時まで、特に何もせずに起きていました。

両親も妹もすでに寝ていました。

私の部屋は(マンションに住んでいるため)玄関に一番近いところにありました。

廊下に面したドアは、開けっ放しにしてありました…いつもそうなんですけどね。

ふと、廊下に人の気配を感じたので、振り向くと

知らない男の人が、玄関に向かって歩いていくところでした。

当時高校2年生の私より少し大きい程度で、

なぜか髪も服も土ぼこりにまみれていました。

そういうことには慣れていたので、怖くはありませんでした。

ただ、その人は私が見ていることに気づいたのか、こう言ったのです。



「出ろ」



もしくは



「来い」



私はただ、何かあったのかな、と思って外に出ました。

玄関を出ると、道路の向かいはお稲荷さんで

ずっと昔からフクロウがすんでいるという巨木があります。

その木の枝という枝に鳥が集まって、ぎゃあぎゃあと大きな声で騒いでいました。

からすほどの大きさの鳥が、その巨木にとまったり、

周りに飛び回ったりして、騒いでいたんです。

はじめてみる光景だったので…

そして、何かがおかしいと思ったので、私はそのまま立ち尽くしていました。



次の瞬間、地震が起こったんです。



ぐらぐらと、かなり揺れました。

道路を、何事もないかのように車が走っているのが、おかしく感じられました。

後でニュースを見たところ、震度4だったそうです。

揺れがおさまってから、私は家の中に戻りました。

家族が寝ている寝室を見て、私はみんなを起こそうかどうか迷いました。

「これはもしかしたら余震で、この後もっと大きな揺れが来るのかな」

すると、横で声がしたんです。
 
「大丈夫。もう揺れない」

さっきの男の人でした。彼は私の横にいました。

不思議と怖くなかったですね…それより、地震の方が怖かったです。

私はその言葉を信じて、

家族を起こさず、また私もその横に並んで寝ることにしました。

実際に、その後は地震が起きることもなく

男の人も数日は姿を見た気がするのですが(学校で)もう今は見えません。

私はどうも、霊に縁があるようで、両親の話では、

幼稚園に入るころまでは彼らを遊び相手にしていたようです
(一人しかいないのに、数人の人と遊んでいるようだったと)。

地震に関しては、震度3以上の地震が直前に、

誰かにそう声をかけられるような気がします。

もうちょっと前に教えてほしいなんて思うのは私のわがままでしょうね。



jujuを読んでいると、この世には人にあだなす霊が多いのだな、と感じました。

特に。私の地元である神奈川には。

その中で、霊に護って頂いている(?)私は、幸運なのかもしれません。

私は、その方たちにとても感謝しています。

できるならば、関東東海沖地震が起きても、被害が少なくてすみますように。

私だけでなく、たくさんの人を護っていただきたいです。

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友人の話
2005年3月18日/投稿者:PSYCHO+

友人Mの体験談です。

そのときMはお風呂に入っていたのですが、

風呂場の壁を外側からトントン、と叩く音を聞いたそうです。

不思議に思って叩き返したらむこうもトントン、と叩いてきました。

奇妙なことに、彼女の家のお風呂場は家の角に面していて、

しかも音がした壁は室内には面していない・・・・・・。

2回ほど叩いてみたようですが、2回とも叩き返されたとのこと。


外に誰か居ると思ってみても不自然なことです。

Mは急いで逃げたそうです。


霊感がある娘なのでもしかしたら霊の発した音を聞いたのかもしれません。


また、Mは学校のバスケットゴールの上に少年がいるのをを見たり、

公園で霊が存在を示してきたとも言ってました。

「そこにいるよ」

「え?どこ?」

「あっ、こっち来た」

それは成人男性で、ちかづいてくる途中で消えたそうです。。


今も彼女は何かを見てるのでしょうか。。。

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ただ1度の知らせ
2005年3月16日/投稿者:snow

これは別に怖いお話しではないのですが、

私が実際に小学生4年の時に体験したことです。



その日は夏で、そう、確か7月の事でした。

夏休みも間近の暑い日でした。

現在私は18歳ですが、あんな体験をしたのはたったの1度きりでした。





たった1度の、知らせ。





それは本当に唐突でした。

その頃、私は1匹の犬を飼っていました。

うまれてから2年ほどのゴールデンレトリーバーです。

友達の家からもらった子犬でした。

私はのその犬に、家族で話し合って『レディ』という名前をつけました。

もちろんメスだったからです。

動物が好きだった私は、レディをとても大切にしていました。

ご飯は勿論、散歩にも連れて行きました。

もらってきた当時は夜鳴きが酷くて、

暫くの間私がレディと一緒に1階のリビングに布団をしいて寝ていたほどでした。


レディもまた優しい犬でした。


人の心を察することができる不思議な子でした。

私が母に怒られてレディの所にいくと必ず頬を舐めて慰めてくれました。

けれど、レディは、普段は決して人の顔を舐めることはありませんでした。

母はしつけが厳しく、散歩やご飯をあげていた私にレディはとても懐いてくれました。

それは小さい私にとってとても嬉しいことでした。





しかし、そんなある日・・・。





私の小学校は4年生までは集団下校だったのですが、

その日は丁度土曜日で一斉下校の日でした。

学校を出て、10分ほどした頃でしょうか。

急に胸騒ぎを感じました。1度も感じたことの無い胸騒ぎでした。

何故だか急に落ち着かなくなってグループの子に「ごめんね」、と言って

同じグループにいた当時小学2年生だった弟を先輩に頼み走り出しました。

私の家までは、学校から25分ほどかかる位置にありました。

しかし足が疲れて走るのが辛くなるのも無視して全力で家に走って帰りました。

家の玄関をあけると、そこに母の姿はありませんでした。




「お母さん!」、と大きな声で母を呼ぶと庭から母の声が返ってきました。


「早かったのね・・・。あのね、」

「レディは!!?」


私は母が何か言い終わるより先にそう問い掛けていました。





「それがね、さっき、死んじゃったの・・・。」





母にそう言われた途端、私の目から涙が溢れ出しました。

うそでしょ、とは一度も言いませんでした。

もう分かっていたから。

レディが死んだ死因は、

向かいの家の取り壊しの際の大きな音が原因の心臓発作でした。

犬の聴覚は人の何千倍もあるそうです。

そこに、人間でさえもびっくりするほどの大きな音は

犬にはかなり辛いものであったことでしょう。



けれど、小さな私はその時思ったのです。

あの胸騒ぎは、レディが私に自分が死んだことを知らせてくれた、

たった1度の知らせだったのだと。


私は今年で19になりますが、

今でもたった1枚のレディの写真をお守りとして持っています。

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2005年3月13日/投稿者:ころん(笹)

初めて体験したのは、今から4年ほど前のことです。(2005年現在)

その日は、いつものように学校から帰って、いつものようにご飯を食べ、

いつものように寝ようとしていました。

だけどその日からすこし狂っていきました。


いつものように自分の部屋で電気を消して寝ようとしていました。

すると、突然背後から声が聞えました。



「たぶん・・・」


女の人の声でした、しかも、聞いたことのない声でした。

言っている事はよく分からなかったけれど、

凄く恐くなって電気を全部つけて寝ました。

一睡も出来なかったけれど。



だけど、これだけでは終わらなかったのです。



前の声のことがあった二週間後、また、こんどは夕方頃に声が聞えてきました。

「しゃくよぅ・・しょ・・」

低い、男の人の声でした。

聞いたことも無い、知らない声。

このときも、恐くて震えながら眠れない夜を過ごしました。





それから2年ほど過ぎて、もう声のことなど忘れていました。





だけど、また声がしたのです。

「おぎゃぁおぎゃあ・・・・」

赤ん坊の声です。

その声は、隣の部屋から聞えてきました。

姉の部屋です。

恐かったのですが、恐る恐る姉の部屋のドアを開けました。

しかし、空けた途端に赤ん坊の声は聞えなくなり、

部屋には何もありませんでした。

しかし、ドアを閉めた途端恐ろしいことに気づきました。





何もない?




・・・・・・?

姉の部屋はぬいぐるみや散らかった雑誌、服、家具。

それら全てのものがなかったのです。



何故。



もう一度あけると、其処にはいつも通りの散らかった部屋がありました。

その日も、僕は眠れませんでした。

後日、姉に話を聞くと。

「赤ん坊の声?・・・ここらへんに出産した人はいないけどねぇ・・・。」

と、言うのです。

しかし、姉と一緒の部屋に寝泊りしている、いわゆる彼氏は違いました。

「あぁ、俺も赤ん坊の声聞いたよ?」

何故姉には聞えなかったのでしょうか

何故、僕とその人だけには聞えたのでしょうか。

今でも不思議で、気持ち悪いです。

そして、赤ん坊の声は一度だけではなく。

二度、三度と、段々頻度を増しながら聞こえてくるようになりました。

しかも、全て同じ時間帯に。

夜の、10時の事でした。




そしてある日、ゲームをしすぎてもう明け方の時間帯の4時をまわった頃。

寝ようと、TVを消しました。

そのときリモコンが見当たらなくて

わざわざTVの前にまで歩いていって消したのですが、

消した直後、体が凍りつきました。

消した瞬間、笑い声がしたのです。



「ふふふっふふふ・・・・」



いつか聞いた、女の人の声が。

恐くなり、TVをつけると、声は聞えなくなりました。

僕は、どうしても寝る気になれなかったのでそのまま日が昇るまで、

気を紛らわすために再びゲームをしました。

そして、その日の夜の10時、

つまり赤ん坊の泣き声が聞える時間帯になりました。

だけど、もう赤ん坊の声は聞えませんでした。

今も、もう聞えません。



だけど、今もあの不気味なことは鮮明に覚えています。


すぐ背後での声、なかった部屋の物、笑い声。


これで全てが終わった


そう、甘く見ていました。


今では毎夜、

いえ、毎日昼夜問わずに言え全体から「音」が度々するのです。

階段を昇る音、ドアが勝手にしまったり開いたりする音。

そして。僕部屋のすぐうえ、そこから「ドンドン」と何かを訴えるように叩く音。

屋根裏には、何があるのでしょう。

今でも、これを書いているときにも音がします。

「ねずみ」そう自分に言い聞かせていつも眠りについています。

だけど、あの音は到底ねずみほどの大きさ、力では出せないとおもいます。

家全体に鈍く響く、木材の叩かれた音は・・・・。

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勉強部屋の窓
2005年3月10日/投稿者:yuki

大学2年生の夏

アメリカ留学中の時の話です。


あの頃は宿題が大変多く、しかも英語が上手ではない私は

毎晩のように朝方まで宿題をしていました。

そんな或る晩のこと。

その日も、相変わらず深夜まで宿題をしていましたが

ルームメイトが、もう寝ると言うので

6階建ての学生寮で3階の私達の部屋から出て

2階の勉強部屋に行きました。


後から知ったのですが実はその部屋、ネイティブの生徒達は誰も使わない

「いわくつきの部屋」・・・でした。


そんなこととは露知らず、私は一人

カーテンを閉め切ったその部屋で宿題をしていました。

が、深夜2時頃、異変は起きました。


裏庭側の窓からスウ〜ッ・・・スウ〜ッ・・・

と、爪で窓を軽く引っ掻くような音がするのです。


古い建物だし、ネズミかな?と思っていたのですが

ネズミだったら、窓からするのも変です。

何の音だろうと思い、思い切ってカーテンを開けてみました。

すると・・・



外から頭の上半分が潰れた人が

窓をスウ〜ッ・・・スウ〜ッと爪で引っ掻いていました・・・。



恐ろしくなって、その部屋を飛び出し

みんなの集まる1階の玄関ホールに一目散に走りました。

いつもはおとなしい私が、

物凄く慌てた様子に集まっていたみんなは驚いていたようですが

「Ghost!!Window!!!Ghost!!」

と私がパニックしながらも話すと、

私以外の全員が何故か納得したようでした。


実は数年前、そこに住んでいた女子生徒が

彼氏に振られ、屋上から飛び降りたそうです。

そしてあの2階部屋の真下、1階には裏口があり

1階と2階の間の壁にある、

頭部先端が鋭く尖った大きな外灯に頭から突き刺さったそうです。

外灯はそのまま壁から外れ落ちて

そのまま、そこだけは外されていたそうですが

私がアメリカに着いた前の年に、新しく取り付けたそうです。

(同じ寮の英語の上手な日本人に訳して教えてもらいました)


それ以降、あの部屋と裏口は絶対に使いませんでした。

私が留学していた大学のある場所は

アメリカでも3本の指に入るほどの心霊スポットで

ハロウィンには世界中から人が集まるそうです。

私の寮以外にも、そういう怪談話がたくさんありました。

皆さん、オ◎◎◎州に行くときにはご注意を・・・。

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不思議な喋り声
2005年3月4日/投稿者:楼櫻澪

これは私が小学5年生の時に体験した話です。

その日私のクラスの5、6時間目の授業は家庭科室でエプロン作りでした。

でも私は家庭科室へ行くのが嫌でした。

なぜかと言うと、家庭科室の隣にあるトイレには幽霊がでるからです。

私は小学生になってから幽霊はみえませんが

よく、家に1人でいると耳鳴りがしたり、

しんどくないのに気分が悪くなったりということが毎日のようにありました。


その日もしんどくないのに気分がわるかったのです。


そのトイレは誰も入りませんなのでトイレはいつもきれいです。

5時間目のチャイムが鳴り、エプロン作りは始まりました。

私は先生にわからないところを聞いたりしてエプロンを作ってました。

すると、急にトイレに行きたくなり、先生に「トイレに行きます。」と言って

幽霊がでると噂されてるトイレに入りました。

中に入ると

電気がついてなく真っ暗で私はずく済まして戻ろうと一番奥のトイレに入りました。



すると、どこからか誰かがはなす声が聞こえるのです。



私は今日は参観日で親たちが話してるんだと思い小さな窓をあけました。

でも、開けてもだれもいません。

私は窓を閉めてもう一度聞いてみました。

すると、隣の男子トイレから話し声が聞こえたのです。

私は男子トイレに何人かいるのかなと思いました。

しかし聞こえてくる話し声は中年の30歳〜40歳のおばさんの声でした。

しかも何人かで固まって話してました。

私は怖くなり早くトイレを済まして、トイレを出ました。










これで終わりだと思いますよねでも、まだ続きがあるんです。









そんな体験があった次の日、

その日は私の班がその幽霊トイレのそうじ当番でした。

トイレに着いてトイレの中を見るとスリッパが・・・・・・

昨日声が聞こえた奥のトイレの横にスリッパが並んで置いてありました。

それは私たちになにかを伝えたいみたいに・・・・。

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沖縄修学旅行にて
2005年2月4日/投稿者:闇尚猫

これは私が高校3年の時、沖縄に修学旅行に行った時の話です。


沖縄と言ったらやはり第二次世界大戦中の沖縄戦のことが思い浮かびます。

ひめゆりの塔、万座毛

平和記念資料館等色々な戦争の傷跡を残す場所へと私たちは行きました。

その中でも一際すごかったのが

ガマとよばれる沖縄の地価に無数に存在する鍾乳洞です。


ガマは戦時中、自然の作り出した防空壕の役割を果たしていました。

私たちが行ったのは糸数壕と言う所で、入り口はただの岩穴、

本当にこんな所に入れるのかってぐらい狭いです。

人一人が通れて精一杯。

しかしうまく階段のようになっている通路を下ると中はとても広いです。

だけど、中はとても暗く光など一切入ってこないため、

私達はペンライトで足元を照らしながら歩いていました。

私と友人数人は色々と見て回っていましたが、

入り口入ってすぐのところに当時重症患者(もう助かる見込みのない人達)の

治療室として使用していた穴がありました。

緩やかな下り坂の奥にある、真っ暗な穴。

私はそこを見た瞬間、背筋がぞっとしました。





誰か座ってる。





誰が座っているのかははっきり見えませんでしたが、

確かに誰かが、ひざを抱いて穴の真ん中に座り、じっとこちらを見ているのです。

入って早々これか・・・と思っていると、

今度は同じクラスの子が2・3人突然泣き出したのです。

ちなみにうちのクラス、

女だらけの37人でしたが、結構霊感の強い子が数人いて、

そのうち一番強い子は道端にいる浮遊霊や

人についている背後霊まで見えてしまうような子だったので、

もともとガマには入らずにバスの中で待っていました。



突然で、暗闇で雰囲気が怖くてないているのかと思ったら、

どうやら違うみたいです。

驚いた先生がその子達のところへ行くと、

どうやらわけのわからない事を言いながら泣いているみたいです。

他のクラスの男の子たちもなんだろうと見ている中、

ガイドさんの案内でさらに奥へと入っていきました。

ガマの中は所々蛍光灯が置かれ、それと同時に

当時何があったかを書いたプレートのようなものがかけてあります。

ごつごつとした洞窟内を歩いていき、少し広い場所に出ました。

そこは上のほうに手術台があり、その横に空気穴が開いていた後がありました。

そして、私たちが立っていた場所は当時の死体置き場の真上か、

すぐ近くでした。



そこで学年全員集合すると、ガイドさんが昔ここで何が起きていたか

真実を語り始めました。

当時の糸数壕は1000人近い負傷者を抱える野戦病院で、

その多くが重症患者だったために昼でも夜でも真っ暗なこのガマの中、

明かりを消して寝ようとすれば患者の腐った傷口をうじ虫が食べる音、

苦しそうな声が響き、気が狂いそうだったと言っていました。

私と友達は立って話を聞いていたのですが、

その時私の左手と友達の右手を握って話を聞いていました。



そして懐中電灯の明かりを消したとき、

私は壁に面した自分の右半身に寒気が走るのを感じ、

反射的にすぐ真横の壁を見たのです。







そこにいたのは、赤ん坊を抱いた女の人でした。







そして彼女はじっとこちらを見たまま、

私が友達と握っている左手をそっとつかんできました。

不思議と叫びたくなるような恐怖感はないのですが、

かといっていい気がするわけでもありません。

すぐにみんなが懐中電灯の光を再びつけました。

私も同じようにつけると、赤ん坊を抱いた女の人は私と友達の手を握ったまま、

その手を上へとあげようとゆっくり動かしました。

友達にはそれが、私がやっていることだと思ったらしく、

不思議な顔をしながら手をぶらぶらさせていました。

すると女の人は消えてしまい、すぐ近くにいた中のいい友人

(ちなみに沖縄県出身)

が近寄ってきて「大丈夫だった?」と聞いてきました。



彼女にも、見えていたのです。

私はうなずき、私と手をつないだ友人は不思議な顔をしたままでした。
(ちなみに彼女にはバスに戻ってからこの事を話しました^^;)

気がつき、上を見上げると

手術台に二人、空気穴の回り、天井近く・・・・

いたるところにここで亡くなったと思われる人々が、こちらを見下ろしていました。



ガイドさんの話も終わり、私達は再び地上へ。

先ほど泣き出してしまった子も、

バスで待っていた子がお払いをした途端に元に戻りました。

しかも、自分が泣いていた間の記憶は一切ないそうです。



次の日、私たちが向かったのは第三外科壕にある、ひめゆりの塔です。

第三外科壕は糸数壕より、もっと入り口が急で

本当に人が入れるのかも疑問なほどのがけの中にありました。

その暗い穴の上に、ひめゆりの塔はありました。

私達は穴の周りに張ってある柵の前で合掌し、一斉に黙祷しました。


その瞬間!


目をつぶった私の頭の中に、真っ白な光景・・・

人と人が折り重なり、焼け野原に転がる無数の遺体・・・

そんな光景が一瞬にして入ってきました。

驚いていると、先生の声で我に戻りました。

すると、隣にいた沖縄出身の友達(昨日の子です)が、

私の顔を見つめて


「今さ・・・・・??」


と言ってきたので、私は思わず思いっきりうなずきながら


「うん!見えた!!見えた!?」


と言ってしまいました。

それが、果たして私たちの頭の中の妄想なのか、

それとも沖縄で無念のうちに死んでいった人々の思いなのか・・・

あれからもうすぐ3年経ちますが、今となってはわからないままです・・・。

ただ1つ。

あの沖縄修学旅行中、私は至る所で戦没者の無念の霊を見ました。

戦争は何も有は生みません。

生まれるのはただの、憎しみと悲しみだけです。

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2005年1月25日/投稿者:沖田 鎬

「拾い癖」のある友人が拾ってきた、女性の霊の話である。

彼女はソバージュの髪を、肩まで伸ばした

すんなりした可愛い感じのひとである。

殆ど肌と同化しているような、ピンクのマニキュアをしているような

そんな慎ましい女性である。

ただ、視た時には、彼女は緑色の細長い物体であった。

以下に彼女の意志を示す。




浦安の海にね、私が沈んでるの。

いつも尽くし続けてきたわ。

あなたが喜びますように。

あなたが幸せでありますように。




あなたが笑えば私は幸せだった。

ねえ、どうして殺したの?

私が邪魔なら、そういってくれれば、すぐに別れたわ

あなたのこと好きだから、あなたが幸せでない状態なんて私には許せない。





暗い崖で、車のトランクから私を出して、毛布にくるんで

首とお腹と足を縄で縛って石をつけて、海に投げ込んだね。

すこし、くるしかった。

でも、それであなたが幸せになるならそれでよかったの。





今日、いいひとをみつけたわ。

私のことを拾ってくれるひとよ。

私のことを捜して欲しいの。

大丈夫、あなたのことはいわないわ。

あなたは今幸せでしょう?

だからいわない。

でも、私このまま沈み続けるのは厭なの。

だから探してって頼んで………

一生懸命頼んだんだけど、………

でも、断られちゃったわ。





私が殺されたのは、20年前。

もう海に沈んだ私は残骸でしかない。

あなたの幸せを祈り続ける一方で、

私を捜して欲しいと切に願うのよ。

お願い。

捜して。





自分を殺した男の幸せを願うような、そんな一途で哀しい女性である。

しかし、その一方で、自分を見付けてほしいと願う

霊特有の矛盾さを醸し出している女性でもある。

…この女性はもの凄く(邪念がないだけに)凶悪で

剥がすのに6時間を要し、

完全に剥がすまでに一週間以上を要したというシロモノである。

あまりにも現実離れしているので、投稿するかどうか迷ったし

また危険なものなので言霊として(第35話 音参照・これをも越える)

書くのも憚られたが…世間には

こわいものみたさーーという言葉がある。

よって、投稿することを決意した次第である。

しかし、男女関係に亀裂を入れるという、危険なものなので

多くを封印させてもらった部分がある。

ここにあるのは、彼女のかけら。

誰か、浦安の海にいったら、

………

みつけられるか、ど畜生ーーッ!!

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2005年1月27日/投稿者:沖田 鎬

電話空間は二つの空間を繋ぐという。

ならば、テレビは各国との空間を繋ぐし、

PCならばそれこそ世界の個人の空間を繋ぐのだろう。

そんなことを考えていた矢先の話である。


冬休みの始まり、おそった悲劇がある。

それは最終的に15万人強という死者を出すに至った、あの悲劇である。

私はそれをテレビで見ていた。

「インドネシア方面の魚は当分食べられないね」

母のことばに、私は笑って答えた。


「どうして?人間を魚が食べるんだよ?
その魚は食物連鎖の中に入ってるんだから、いいことじゃない。
それに、人間って栄養価高いらしいしね」


これが悪かったのかも知れない。

死んだ方にとっては、死にたくて死んだわけではない。

だから。


異変はその夜起きた。


引っ越してのち、組み立てたばかりのロフトベッドの上で、私は緊張していた。

何かくる。

青い悪寒が走っていた。

これは、そういうものがくる時の前触れだ。

まずいかな。

電気…枕元を頭の中で振り返りつつ、私は仰臥していた。

ベッドの梯子の方に向けていた腕が、ぐにゃりと何かに触られた。

一瞬で判った。


それは、ぐずぐずになった人間の手だった。


ううっわ!と私は躰を反転させて、枕元の電気をつける。

ぱっ。

灯りが点いた。

そこだけ、何か暖かいような気すらしてくる。

気配は残っている。

不思議なことに、みえはしなかった。

(尤も見えていたら卒倒していただろうが…)

30分もそうしていたか。

もういいかな。

私は電気を消し、仰臥する。

暗くなった天井を眺めて、ため息をつく。








ぐい。








「!!!!!!!!」

声にならない悲鳴をあげて、私は電気にとびついた。

両足首を捕まれたのだ。

ぐずぐずの、そのリアルな感触はなんともいえない。

潰したジャガイモの中に、芯が入っているような感じ、だろうか。

もっと水っぽいかも知れない。

下の布団で寝ている母が目を覚ましたらしい。

「まだおきてるの?はやくねなさい…」と寝ぼけ声。

「ごめん。………今金縛りあっちゃったから、電気消せないよ」

結局、そのまま一睡もせずに、朝を迎えた。




朝、光が雨戸の隙間から漏れてきた時、物凄く安心したのを覚えている。

ようやっとベッドから降りて、母が布団を片付けた後テーブルを置くと、


「何それ」


私には何のことかわからなかった。

視線は右腕に注がれていた。

ふと見れば、右手の指先から手首までぼつぼつと、湿疹が現れていた。

かゆみを覚えてみれば、

なんと膝から下が、両足とも同じ様な紅い湿疹にさいなまれている。



まるで、水死者のような………



私は急遽、引っ越してから後まだ張っていなかった結界を張ることにした。

丁度風邪で体調をくずしていたにも関わらず、鏡と石を要に、部屋に結界を張った。

あれから、同じ様なことはおきていない。

また、残念ながらインドネシア産の魚は食べるつもりだ。

それが、復興の為にもなるのだから。


さて…電話は空間を繋ぐという。

ならば…

人類が生み出したこの素晴らしい交流器具、

世界何処へでも持っていけるもの、PC。

これは一体、何処と何処を繋ぐのだろう。

或いは………

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トンネルの女の子
2005年1月23日/投稿者:修羅

この話は、私が小学生の時の話です。

はっきりとは覚えてませんが、確かに本当にあった記憶です。


あの日、私は友達と一緒に帰宅する途中でした。

いつもの事ながら他愛ない会話をしていたのです。

そしてその日、友達が最近学校に来なくなった子の話をしたのです。

「あのね、学校に来なくなった隣のクラスの親が云ってたらしいんだけど、
その子、いつの間にかふらりと家を出ていく時があるんだって。」


私は、その学校に来なくなった子は引きこもりだと思い込んでいたもので、


「そうなんだァ」と相槌を打ち、驚いたような表情をしてみせました。


そしてその話が出たのちに友達と別れたのです。

私の住んでいる家は学校からとても遠く、一時間かけて通学しています。

そして、その帰り道の途中に今は使われていないトンネルがあるのです。


そのトンネルは私の学校では幽霊が出ると噂されており、

気味の悪い所なのであまり人が通らないのですが、そのトンネルを通ると

家に帰るまでの時間が縮まるので、用事があったりした日には足早に

そのトンネルを通り抜ける事が多々ありました。


そして今日、私は母に強いられ渋々通い始めた塾の日でした。



あと一時間で始まってしまう・・・。



塾に行くまでには40分はかかる、このままじゃあ遅刻だ。

私は焦っていました。そして、咄嗟に思い至ったのです。



あのトンネルを通ろう。



そして私は足早にトンネルに入りました。

トンネルの中は薄暗く、心細い位の明かりしか灯っておりません。

私がトンネルと中程まで来た時、ふと一人の影が見えたのです。


その影はさっきの話に出てきた、学校に来なくなってしまった子でした。

その子は私に気付いたようでこちらを振り向き私を見ました。

私は驚きました。


その子の前髪は伸びて顔全体を覆うようになっており、目も隠れていて

昔の面影は微塵も残ってはなかったのです。




「ねぇ、私のランドセル、知らない・・・?」




ねっとりとした重い声でその子は云いました。



「男の子に、隠されちゃったの・・・ねぇ・・・」



その子はだんだん私に近づいてきました。

ゆっくりと近づいてきて、その子の顔が私の目の前に来たとき

私は気付いたのです。


その子は、私の知っている学校に来なくなってしまった

あの子とは別人だったのです。


「ねぇ、ねぇ、ねぇ、知らない、の?じゃあ、ね、」



「あなたのが欲しいいいいぃぃ、、、」



「いやああぁぁぁぁ!!!!!!」


私はその子を突き飛ばして必死に走りました。

背中に重い感覚がしたけれど振り返らずに家まで走りました。

家に帰ってランドセルを見ると、

そのランドセルには深い、爪痕が残されていたのです。


それ以来、今もそのトンネルには近づいていません。

怖くてランドセルも捨ててしまいました。

そして、トンネルで見た女の子は、

今も行方不明で見つかっていないのです。

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魔の踏み切り
2005年1月9日/投稿者:mayaka

去年の夏私が体験したことをお話します。

2004年8月4日。

朝方雨が少し降っていて少々蒸し暑かった日でした。


私は昼から夏期講習に行っていて夕方まで勉強をしていました。

塾の方も終わって一息ついて

駅のある99円ショップでお菓子を買って帰っていました。

歩きながら食べていて、少し遅くなってしまいました。

あれは多分・・・夜8時ごろだったと思います。


夏なので少し薄暗いだけだったから

私は「まぁいいよね!」と独り言を言いながら帰っていました。

私の家は駅から少し距離があり、その道には線路が5箇所もありました。

中には友達から「あの線路出るんだって〜〜」と聞いたものもありました。

私はそんな事は気にしないタイプで、いつも普通に通っていました。

いつもは誰かしら渡る人が居たので、何事も無かったのでしょう。


その日私がわたろうと思ったら・・・・

だれもいなかったのです。

車も自転車も歩行者も。居なく私だけでした。

私は「ふぅん。珍しいこともあるのね。」といいながらわたりました。

踏み切りをわたりきったと思ったとき・・・





「ま・・・って。」




と聞こえました。空耳かな??と思って最後の一歩をわたったとき。


「ま・・・って・・・お・・・ね・・ぇ・・・ちゃ・・・・ん」

とまた聞こえたのです。

「あれ???おかしいなぁ〜〜」

とのん気な事言っていた時でした。


何者かに殴られたような痛みが私の後頭部にきました。

そして

「なんなの!!?」

と怒って振り返ると誰もいないのです。

そんなことをしているうちに線路の遮断機が下がって

「やっべーーー引かれちゃうぅ〜〜〜」

と笑いながら端っこに行きました。

その時でした

浮腫んだ男の方の手のような物が

私の首を締め付けて線路に引き込もうとしてきました。

私はそれでものん気に

「だからなぁに!!」

といってしまいました。

そのときは何とか家まで帰れました。





数日後。





その踏切を渡ろうと思いました。

昼間で誰も居ませんでした。

今度は自転車でした。

遮断機が下がっていて私はきょろきょろ当たりを見回しました。

暇だったので看板を見ていました。その看板には





−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       注意!!

大型バス・トラック・この先渡れません。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





と赤い太い字で書いてありその下には

バスが線路にはまり電車とぶつかっている画像がありました。


勿論怖かったので急いで帰って親に前の事を全て話しました。

親は

「ぁあ。あの踏み切りは大事故があって、沢山の人が死んだって噂だよ?
あんたも気を付けなさい。」

といわれました。

勿論その後御祓いもしてもらいました。

今では健康に過ごしていられます。

でも・・・・

もうあんな体験はしたくないです。

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乳母車
2005年1月1日/投稿者:蒼空

こんにちは。

これは実際に私が体験したのですが、怖いというよりも

不思議なお話なのかもしれません。


部活が終わり、午後6時ごろでしょうか。

冬だったので、もうそのころには辺りは

真っ暗でした。

いつも通っている道で、駅から100mほどのところ。

曲がり角があるので、そこから駅は見えませんでした。


いつもなら人通りが多いはずなのに、

その日は車も人も、ありませんでした。


いつものように帰っていると、

古く、誰も住んでいないような家がありました。

そこは窓も割れていて、もともと「何か」いそうな

雰囲気はしていました。


その家の前に、乳母車がおいてあったのです。

気になったのでのぞいてみると、

何かが入っているらしく、少し膨らんでいました。

上に布が掛かっていたので、とってみようかとも

思いましたが、怖くなってやめておきました。


また別の日、その日も車のとおりや人通りは

ありませんでした。







また、あの乳母車がありました。







前の日はなかったのに・・・

やはり気になって、中をのぞいてみました。

上に掛かっている布の上に、花がたむけられていました

寒気が走った私は、逃げるようにして家まで帰りました。

結局、布の下にあったものは見ないまま。

一体、あれはなんだったのでしょうか・・・

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メッセージ
2004年12月3日/投稿者:sati

今から三年ほど前でしょうか。

父が伯父名義の土地を買い取って、家を増築したんです。

それでようやく私にも1人部屋が出来ることになり、私はわくわくしていました。


完成したのは初夏の頃。


その部屋は両親の部屋から離れていて

10年以上両親の近くで眠っていた私には

かなり新鮮に感じられました。

その部屋で眠って、初めて「金縛り」というものに遭ったものの

慣れない部屋で眠ることに対するストレスとか

そういうものだろうと思っていました。

なので、最初はともかく、段々と恐怖を感じなくなっていきました。


それから一月ほど発って夏休みに入った頃。


私はいつも通りの時間帯に、いつも通りに布団に入りました。

暑さの為になかなか眠れないのもいつも通りで、それでも目を瞑っていると

段々とうつらうつらしてきました。

良い感じの眠気に、大きく息をついた途端。



また金縛り。



何とか寝返りを打とうとしたら―


バンバンバンッ


と床を叩く音が耳元でしたんです。

同時に体の硬直も解けました。

あまりに大きい音とタイミングに、びくっとして起きあがり、

本か何かが落ちたのかと電気を付けて見回したのですが、

その様子もなく、起きて居間にいたらしい父に聞いても部屋に行ってもいないし

変わったこともないと言います。

当初、私はそれほど気にしていませんでしたし

所謂「霊現象」としての金縛りだとも思っていませんでした。

でも、どうも無関係とは思えない事実があります。

伯父は、家が完成を見る機会がないまま、亡くなっています。

私の部屋は、父がその伯父から買い取った土地に建っています。

あの床を叩くような音がしたのは、一周忌の直前です。

「伯父さん、気になって見に来たんじゃない?家出ていく前に、

お墓参り位行かないとね」とは、母の言です。

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ヘビと髪
2004年11月15日/投稿者:Rei

これから話すことは私の友人Mが実際に体験した話です。

今から数ヶ月前の夏。

私の友人Mは仲間や彼女と夏祭りに行きました。

とても楽しかったそうです。

問題はその後です・・・・。

Mは夏祭りの帰り、一匹のヘビを見つけたそうです。

長さ1,5mほどの黒く細いヘビだったそうです。

M達が近寄るとヘビは鎌首をもたげ、

シャ〜シャ〜と威嚇してきたそうです。

腹が立ったMはヘビを殺そうと石を拾いました。

するとMの友人Kが言いました。

「俺が飼ってるワニのエサにしよう」と。

Kは趣味でメガネカイマンというワニを飼っていたのです。

Mもそれに賛成しました。

Kはヘビ等の爬虫類を掴むのが得意だったので難なく捕まえられました。

帰りにMとMの彼女はKの家へ行きました。

Kの部屋には大きな水槽があり、その中にメガネカイマンはいました。

無許可で飼ってるから誰にも言うなとKは口止めしました。

そしてヘビを水槽へ入れました。

メガネカイマンはすぐに反応し、大口を開けてヘビの胴体に喰い付きました。

ヘビは暴れましたがすぐに動かなくなりました。

死んだヘビをメガネカイマンは丸呑みにしました。

その時間、僅か1分ほど。

その数日後、Kのメガネカイマンは何故の死を遂げました・・・。

原因は不明。

ただKが言うには「あのヘビに毒があったんだろう」と。

その数日後、今度はKが死にました。

誰かに首を締められ、窒息したそうです。

首にはハッキリと締められた後が残っていました。

しかもかなりの力で締められたようで首の骨の一部が折れていたそうです。

Mと彼女は何となく気味悪く感じていました。

まさかあのヘビが復讐に来たのでは無いかと・・・・。

Kが死んで1週間、幸いMと彼女には何も起こりませんでした。

二人もヘビのこと等、気にもせず普通の学校生活を送っていました。

ある日、Mは彼女の家へ泊まりに行きました。

彼女の両親は旅行でいなかったのです。

二人だけの空間。

Mはとても楽しい夜を過ごしました。



そして深夜3時頃。



Mはトイレに起きました。

彼女を起こさないようにそっとトイレへ向かいました。

そして用を足している時、部屋から彼女の悲鳴が聞こえたのです。

キャアアアアアアアァァァァァ

Mは急いで部屋に戻りました。

部屋に入ったMが見たものは








人の顔。








天上裏から長い黒髪を垂らした女性が逆さまにブラ下がっていたのです。

その長い髪はMの彼女の首に巻きついています。

Mは呆然とそれを見ていました。

そのうち、髪で首が切れ、彼女の首から赤い血が垂れてきました。

Mはそこでハッと我に帰り、彼女の首から髪を取ろうとしました。

しかし髪は強く巻きついていて取れません。

ヤバイと思ったMは近くにあったイスを黒髪女に投げつけました。

イスは黒髪女の顔面に直撃。

黒髪女は床に落ちました。

しかし恐ろしいことに黒髪女には手足が無かったのです。

手足が生えているところからは長い髪が大量に伸びていたのです。

Mの彼女の首に巻きついている髪は手から出ていました。

Mはそこで記憶を失いました。

気が付いたときには外は明るくなりかけていました。

ベッドには首と胴体がバラバラになった彼女が・・・・。




床一面、血で真っ赤に染まっていました。




怖くなったMはその部屋を出ました。

玄関を出ようとしたとき、彼女の両親が帰ってきました。

Mは玄関にあった消火器で両親を撲殺しました。

それから数日後。

Mは友人Uを連れて彼女の家へ行きました。

(その時、Uには何で行くのか理由を教えなかったそうです)

彼女の家には誰もいませんでした。

彼女の部屋にも何もありませんでした。

黒髪女が出てきた天上には穴など無く、ベッドはしっかり整えてありました。

UはMに「お前、大丈夫か?」と言いました。

Mは「ヤバイな、帰ろう・・・」と。

私達が玄関を出るとき、後ろで誰かが囁く声がしました。







お前の彼女も両親も片付けといてやったぞ・・・・・・・。

次はお前達だ・・・・・・。






その後、ヘビが威嚇するときに出すシャ〜〜〜〜・・・・と

いう音が聞こえました。

Uも死ぬのでしょうか・・・?

ヤツは関係無い者も殺す気でいるようです・・・・。

もしかして私も・・・?

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お前が
2004年10月22日/投稿者:紅切姫

私が実際体験した話です。

一人っ子の私は、両親に可愛がられ小学生で一人部屋をもらいました。

自分の部屋は快適で、とても居心地がよい部屋でした。

そして、私が中学生になった時。

小学生時代の頃のままだった家具の配置に飽き、

私は模様替えをすることにしました。

ベッドを動かし、本棚もタンスも全て動かし・・・

小学生時代に大事にしていたぬいぐるみや、

散々遊んだバービー人形など、全て捨ててしまったのです。

「もう中学生だし。部屋もシンプルにお洒落にねっ」

と考えていた私は、何も考えず、捨ててしまったのです・・・


そして。その日の夜。


今まで心霊体験などまったくなかった私は、

金縛りにすらあったことがありませんでした。

でも、母は霊体質だったので、金縛りは動けなくなるんだ。

ぐらいの知識はありました。



そして・・・起こったのです・・・その夜に



今まで全然そんな体験がなかった私に。

「おぉーー!これが金縛りっちゅーやつかぁ!」

と面白半分で感激していた途端。

ビリリリリリッッッ!!!!

っと、ただ動けないだけだった私の体にすごい激痛が走ったのです。

「痛い!痛い!痛い!!!」

と頭の中で何度も考え、その間も下半身はどんどん麻痺し、

痺れはどんどん増して行きます。

怖くなって何とか首を動かし、枕に顔を埋め、じっと目を閉じていたら、

「ちりりーん…ちりりーーん・・・」

と鈴の音が聞こえてきたのです。

「え?」

耳を疑いました。

なんで鈴の音が聞こえるの?!

混乱している私の視界にいきなり桜の木が見えはじめたのです。

じわ・・・じわと。

そして、

年老いた男の人の声で、

「お前が!!お前が!!!お前がああぁぁぁぁあっっっっ!!!!」

とはっきりと聞こえはじめました。

もう怖くて怖くて泣きたくなっていた私は、必死に

「ごめんなさい!ごめんなさい!!!!」

とわけもわからず謝りました。

そしたら・・

フェードアウトするように声は消え、途端に金縛りも消えました。

ばっっっ!!!っと飛び起きた私は、

今起きた出来事が夢か現実がわからなくなっていました。

でも・・・

足は痺れていた感覚が確かに残っています・・・

怖くて怖くて、その夜はもう寝付けませんでした。

それで終わっていたら幸せだったのに・・・

それからというもの、部屋に行く度に妙な感覚に襲われたり、

ブラインドゥの間に私をじっと見つめる目が見えたり、

髪の長い、赤い服を着た血まみれの女の人が机の下にうずくまっていたり・・

色々な心霊体験が起こるようになりました。

しまいには、私が金縛りにあったことを友達に話すと、

その夜、友達も金縛りに襲われたりする事件などが起きました・・・

今は新しい家に引越し、心霊体験もありません。

去年に癌で死んだ祖母が守ってくれているのかもしれません。







このお話を読んだ人へ・・

絶対に注意してください!!!

私がこの話をすると、必ず心霊体験が起こるのです。

あなたの身のまわりにも心霊体験が起こるかもしれません・・・

ほら・・今も鈴の音が・・

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謎の足音
2004年10月22日/投稿者:紅切姫

これは母が子供の頃体験した話です。

母は昔から金縛りやフラッシュ体験をしており、

霊的な体質でした。

でも、はっきり「霊のせいだ!!」というものはなく、

曖昧な体験ばかりだったそうです。

しかし

ある日。起こったのです。

ありえない事が。

その日は祖母以外誰もいない日で、母と2人きりでした。

妹と弟は友達の家に泊まり、

両親は2人で旅行に行っていたからです。

そして

2人きりの夜に少し不安だった母は、

「一緒に寝るか?」

と言われた祖母の言葉も強がって断り、

いつも通り自分の部屋で一人で寝たのです。

夜中。

母はぐっすり眠っていました。

しかし、


「トン、トン、トン、トン」


という階段を上がる音で寝ぼけながらも起きてしまいました。
そして、


キィ・・・・


と扉を開く音がし、足音が確実に自分の元へ近づいて来るのです。

その時母は、

「何だよ…おばあちゃん起きたの?」

ぐらいしか思ってなかったそうです。


その時


「ゆさゆさゆさ、ゆさゆさゆさ」

と、母の肩を必死にゆする強い感触が、母の眠気をとばしました。

それでも母は、

「何でこんな時間に起こしに来るのよ…」

と祖母を疑っており、意地でも目を開けなかったそうです。

すると、

ぴたり、と感触は消え、また

「トン、トン、トン、トン…」

と階段を下りる音が響いて行きました。

そのまま母は眠ってしまったそうです…。

次の朝、母が

「何で昨日の夜中起こしに来たのよっっ!!」

と祖母に聞いたら、

「え?私は夜中にあんたの部屋なんか行ってないよ」

と言われたそうです・・・

じゃあ、あの時来たのは誰だったのか?

激しく肩をゆさぶったのは何故だったのか?

いまだ、理由はわからないままです・・・

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トモダチニナッテ2
2004年10月11日/投稿者:麻樹

これは、349話の続きです。

あれから、兄達は腰が抜けてしまい、あのおぞましい場所から一歩も動くことができず、

自殺現場にやってきた警察官に支えてもらいながら帰宅してきました。

帰ってきた兄の蒼白な顔に、母は心配そうに顔を覗き込み、

まだ幼かった私は、兄と一緒にリビングに入ってきた2人の暗い顔をした警察官を、

物珍しげに眺めていました。

母は、息子が万引きでもして捕まったのではないかと心配しているようでした。

私はまだ物心が付いて間もない頃でしたので、

兄の蒼白な顔よりも、警察官の制服や

腰についたベルトにかけてある拳銃に夢中になっています。

警察官は、母の胸の内を読んだかのように、

まず兄の身の潔白を報告していました。

そして、話が飛び降り自殺の目撃の話になると、

母は暗い顔になりつつも、冷静に警察と話していました。

この時、兄がもう2回は人の死に目に遭遇している事を知っている母は、

自殺現場を目撃した事に、すでに慣れを感じ始めているようでした。

そんな事を警察官は知らないため、

案外冷静な母の姿に動揺を感じているようでした。


「その現場なんですが・・・人目にさらすには・・・その・・・

 酷い・・・というか・・・あまりに残酷なものでして・・・」


警察官は表現に詰まりながらも、言葉を選びながら説明をしようとしています。

私はその間ずっと、兄の表情が警察官の話が進むに連れて

もっと血の気がなくなっているのを眺めていました。

「お子さまのお友達も警察官の付き添いで自宅へ送られましたが、

 もう一人のお友達は、ショックでまともに口がきけず、

 只今お子さまから確認してご家族と一緒に病院へ向かいました」

そういって、警官は兄を無事家に送り届け、帰っていきました。

それから数日後。

現場を目撃してしまった2人は未だに学校に来ることが出来ずに、

兄だけは学校にきちんと通っていましたが、

肉類などを見るとすぐに蒼白になって、

食べたものを戻してしまうこともあり、

見るからに頬がこけ、げっそりと生気がなくなりはじめてやつれていきました。

母は、必死で肉に変わる栄養のあるものを兄に与えようと、

色々と創作料理を作ってみたり、頑張っていたのですが、効果はなく。

兄はどんどんやつれていきます。

やがて1年半という月日が流れ、私も小学校に入学し、

兄も高校受験を控える中学校三年生になりました。

一時期は骨と皮だけのようになり入院もしましたが、必死の介護の甲斐あって、

少しずつ回復し、今はもう少し標準より劣るものの体重も増え、

肉類も少しずつ食べられるようになってきました。

そんな、全てが回復の兆しを見せていたある日の夜。

兄は「恐ろしい夢を見た」と、

見るからにあの日と同じような蒼白な顔でをしていて、

その日から、また肉を見ると戻し始め、やつれていきます。

そんなある日、私は「おにーちゃんと一緒にねる!」と我が侭を言い出しました。

兄は一年生に向ける口調とは思えない程のもの凄い剣幕でそれを断り、

食後はさっさと自室にもどり、眠ってしまったようでした。

私は、しめしめと自分の枕を兄の部屋に持ち込み

兄の布団にもぐり込みます。

悪夢にうなされている優しい兄のそばにいて、

私が少しでも恐怖を和らげてあげたかったのです。

暖かい布団の中で小学1年生の私はまどろみ、眠りにつきました。

あの時、私がもぐり込んでいなかったら、

兄は一体どうなっていたのでしょう・・・

私は、真夜中にふと・・・トイレに行こうとしましたが、

目の前に立っているモノを見て、恐怖で凍り付いた気がしました。

指も身体も動きますが、

小学生の私にはあまりにグロテスクすぎるモノが・・

目の前に立って、いや・・・浮遊していたのです。

それは、粉々になった女の人の肉片が寄り集まった‘モノ’でした。

横目で兄を見ると、兄も目を開いていて、恐怖に顔が引きつっています。

・あぁあ゛・・・あ゛・・・あ゛・・・カツヤく・・・ん・

嗚呼、何故これは、兄の名前を知ってるんだろう・・・

遠のきそうな意識の中で、ぼんやりと私は考えました。

・あ゛あ゛・・・迎え・・・来た・

そう言うと、それは布団に出ていた兄の腕を、血の滴る腕でつかみます。

それの顔が手を伸ばせば届く距離にありました。その髪から・・

何粒かの体液が、私の顔に滴りました。

もう私は我慢が出来なくなって、思いっきり、

もうこれ以上大きな声は出せないと言う程の大声で悲鳴をあげました。

「いやあああああぁぁぁぁぁぁーーーーっ!!!!」

この悲鳴が、余韻を残して消えた頃、

かつて女だったモノは、ぐしゃぐしゃに顔をゆがめて赤い涙を滴らせ、

私達を見て、何事か呟き・・・消えてきました。

泣いているソレは、もうこれ以上ない程に醜くて・・・とても哀れでした。

赤い涙が布団にぼたぼたと流れ落ちていた所を見ると、

なんのシミも付いていません。

父と母が、私の悲鳴に驚いてどたどたと兄の部屋に駆け込み、

母は、恐怖に引きつる私と兄を見て、小さく悲鳴を上げました。

「どうしたの!?怖い夢でも見たの!?

一生懸命私の顔を優しくなでながら、母は私に問いかけました。

放心している私は、母の声が遠くで木霊しているように聞こえます。

「その頬はどうしたのっ!!?

はっとして、自分の頬を触ると、

ぬるっ

手には、あの女から垂れた体液がべっとりと私の手を赤黒く染めていました。

「あぁ・・・あっ・・あ・・ああぁぁぁ・・・あっ」

手を見つめてぶるぶると震え、ふと兄の方を見ると、

兄も私の頬と手を見て、ぶるぶると震えていました。

「うわぁぁぁぁぁぁぁーーーーっっ!!!!」

私は母にすがりついて泣きじゃくり、

兄も父の肩に顔をうずめて泣いていました。

私と兄は両親に洗いざらい全て話し、神社で御祓いをしてもらって、

何もかも、自殺現場を兄が目撃する前の様に元通りになりました。

・・・兄は4年前に・・・逝ってしまったけれども。

今、この話を書き込んでいて、ふと、思い出したことがあります。

確か、あれは最後に何か呟いていたようですが、

どこかの新聞の投書欄に、こんな記事が載っていたのを見つけました。

『友達求む』
私は、二十歳のOLです。
仕事場でも、学生時代でも、
私は友達が出来た試しがありません。
どなたか孤独な私と、
友人になっていいだけませんか?
なっていただける方はこの住所に
連絡を下さい。
28△-08△△ ○○市××町10-5-□□

その時の私は、新聞なんて物に興味はなく、

その新聞をぐしゃぐしゃに丸めて遊んでいましたが、

今、14歳の私がその記事を読んでいたら・・・・・・・・・・。

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